カリテ

シア・バターの製造作業に立ち会う

シアの実は熟れると自然に落ちるため、それを女性達が夜明けに拾い集め、大きな籠や洗面器に入れ頭に乗せて運ぶ。

木の実を乾燥後、殻をつぶし種子を取る。種子は臼の中でつぶされ、できた粉と一緒にぬる湯で混ぜる。それを両手でこねる。これを鍋に入れ、火にかける。

バターができ始めたらその都度すくい上げてゆく。油性の液体を冷やすと、固形バターになる。このバターをひょうたんのボウルやカップやお玉などに入れ好きな形にする。

伝統的な精製方法⇒圧搾法

・果肉を取り除く

・種子の乾燥

・殻を取り除く

・種子をつぶし、熱湯で煮る

・冷却

工業的精製法

・圧搾法および有機溶剤エタノールを用いて、精製、脱色、脱臭を行う。

立会い当日

セネガルの東部Kédougou州のMako村(ダカールから約655kmに位置する村)で、婦人会の人達がシア・バターを作るところに立ち会うことができた。

Mako村は、Tambacoundaから車で約2時間の場所にあるが、そこにたどり着くまでは長い道のりだった…

3連休でTambacounda(セネガル東部、ダカールから467km)に滞在した際、Karaという若者と友達になった。Karaはラップグループ Diwan-J(地方という意味)のメンバーで、アルバムを1枚出している。彼は子供の頃、トラックに轢かれ右足を失っていた。そのKaraに、「シア・バターを作っている村を知らないか」と相談したところ、Mako村にいるお姉さんのKodelを紹介してくれた。

雑誌THIOFで紹介されたDiwan-J
(右側がKara)

Mako村に行く日。私は朝4時30分に起きた。Tambacoundaの夜は蒸し暑くてよく眠れなかった。朝食を取り、ホテルの庭に出ると、涼しい風が吹いていてとても気持ちが良かった。

約束の時間になってもKaraとタクシーが来なかった。しびれを切らして、街の方に歩いて行くと、おんぼろタクシーが1台、道端に止まっているのが見えた。近づいて行くと、パン屋の前で僕を呼ぶ声がした。Karaだった。タクシーはパンクをしたらしく、運転手がタイヤを交換していた。Karaは、僕が来るまで、新曲の作詞をしていた、と言った(後で聞いたら、環境問題を訴える歌を作っていたらしい)。 そこで30分を費やし、さあ出発かと思いきや、車の軽油が少ししかないので、ガソリンスタンドに寄って、軽油を入れることになった。「前日に軽油を入れなかったのか?」と運転手に文句を言うと、「軽油を買うお金がない」とあっさり言われてしまった。ここで、満タンにしておかないと、途中の村にも、Mako村にもガソリンスタンドが無いため、ガス欠になってしまう可能性があった。

僕が軽油代を支払って満タンにし、いざ出発。タクシーは始め快調な走りをしていたが、そのうち、焦げたような匂いがしてきた。Nikolo Kobaを過ぎて、Mako村まであと70kmというところで、座席の下から大きな音がして、車内が煙だらけになった。車を止めて、運転手が車をチェックすると、右後輪のタイヤがバーストしていた。 

タイヤを取り換えて出発!と思いきや、今度はスターターの調子が悪く、エンジンがかからない。車から降りて、Karaと一緒に車を押す。それでもエンジンはなかなかかからない。反対方向から車がやって来たので、助けを求めると、中に乗っていたフランス人らしき男性が「危ないじゃないか!」と怒鳴り、そのまま通り過ぎて行ってしまった。よく見ると、僕たちの車は左側の車道に寄り過ぎていた。

気を取りなおして車を押し始めると、道路沿いにゆるい斜面になっているところがあった。そこまで車を押して、車に飛び乗り、坂道から車が降りる力を利用してエンジンを一気にかけた。見事成功。そのまま舗装道路に上がり、一度も停車することなく一気にMako村までぶっ飛ばす。

Mako村

Mako村には予定より大幅に遅れ、到着したのは9時10分だった。Tambacoundaを出発してから4時間以上が経っていた。村ではKaraのお姉さんのKodelが待ちわびていたらしく、弟のKaraを見るなりうれしそうに駆け寄って来た。

Kodelは、小学6年で学校を辞めた。15歳の時、セネガル中部のKaolackで仕事をしていた。そこでMako村のマラブーの息子(当時18歳)が彼女に一目ぼれした。直ちにKodelの父親に結婚を申し込むと、すんなりと受け入れられた(Kodelの父親は公共事業会社の運転手をしていて、4人の妻がいたが、1人とは離縁していた)。

現在、Kodelは25歳となり、子供も3人いる。夫は父親を継ぎマラブーとなり、村の子供達にコーランを教えている。

Kédougou州では、各村で「村落資源の有効化プロジェクト」が実施され、その一環として婦人会がシア・バターを作っていた。

また、『村落ミクロ企業推進プロジェクトPROMER(Projet de Promotion des micro entreprises rurales)』というものがあり、村の女性達がつくったシア・バターが現金収入になるよう販路を見い出し、支援をしている。

Kodelは村の婦人会会長として、シア・バターの製造に積極的に関わっていた。

製造は伝統的な方法で、すべて手作業で行われた。

シア・バターをつくるのは女性にとって大変な重労働である。

シア・バターの製造過程

1. 果実を集める。
普通、カリテの実の収穫は5月~9月に行われ、シア・バターは5月~12月にかけて作られる。
2. カリテの実は熟すと自然に落ちるので、それを女性達が夜明けに拾い集め, 2~3日間、日干しにしておく。
3. 果実を食べる。ちょっとアボカドの味に似ているが甘さがある。果実を食べた後、子供たちがカリテの葉を体につけて踊っていた。
4. 種子を取っておく。
5. 殻を割って種子の柔らかさを確かめる(①爪をいれる②歯で割って食べて見る)
6. 種子を鍋に入れる。
7. 火の準備 
8. 鍋に水を入れる。種子が赤くなるまで1時間ほど煮る。こうしておくと長期の保存ができる。
9. 種子が赤くなるまで1時間ほど煮る。こうしておくと長期の保存ができる。
10. 鍋から器に移す。
11. 袋にいれ放置しておく。
 
12. 数日後、袋から出して
臼に入れる。 
13. 殻が取れ易いように種子を杵で軽く搗く。写真はKodel
14. 布の上に広げ、木片で殻を割って殻を取り除き、中身の仁だけを取り出す。残ったくずは火をおこすのに用いる。
15. 仁を臼に入れる。
16. 水を入れ、杵で仁を洗う。
17. 洗った仁を取り上げる
18. 容器に移し5分ほど待つ
19. 臼に入れ、杵で搗く
砕かれた仁から香ばしく甘い匂いがしてくる。
20. ふるいにかける。
21. 仁の粉を鍋に入れ、乾くまで10分ほど煎る。こうすると油分が分離しやすくなる。
22. 煎った粉をひょうたんボウルに入れる。その際、小量の粉を取り分け、ふるいにかけ、別のひょうたんボウルに入れておく。
23. 水を入れて、少量をペースト状にする。
24. 上記22で残したすべての粉を鍋に入れ、煎る。
25. 左記24で煎った粉をデゲディゲで挽くか、杵で搗く。
26. ここでは杵で搗く
昔はこのような石で挽いていた。
27. チョコレートが溶けたような、どろっとした状態になったら、
28. ひょうたんのボウルに移し
29. しばらく放置する。
29. 上記23で作った少量のペーストを臼に入れ、杵で搗く。
30. 搗き終わったら、ひょうたんのボウルに移す。
31. ぬるま湯を加え、
32. 10分ほど手でかき混ぜる。
33. 混ぜたら、これを少しずつ取り、上記29と混ぜて、15~20分ほど再度かき混ぜる。
34. 時々、ぬるま湯を加え、かき混ぜる(白い脂肪のようなものが混じっているのが見えてくる)。
35. あるタイミングで、冷水を入れると、突然、ペーストが乳化して白くなった(冷水を入れるのは不純物を分離させるため)。
36. 分離した白い部分だけを別のひょうたんのボウルに移す。
 
不純物は沈み純度が高まってゆく。
37. 水を入れ、
38. 固まったものをだんご状にして、別のひょうたんのボウルに移す。
だんご状のものを食べてみると、
ホイップした生クリームのような舌ざわり。
ふわっとしていて、少し苦みがあるが、おいしい。
39. 別のひょうたんのボウルに移し、だんご状のものをくずす。
40. 大きな玉にして別のひょうたんのボウルに移す。
不純物を分離させ、さらに純度を高めてゆく。
41. 大きな玉のかたまり
42. 鍋を熱する。
43. 左記41の大きな玉の一部を、熱した鍋に入れる。
43.次第に沸騰し、泡立ち、全体的に白くなってくる。
44. 静かにかき混ぜ、水分を飛ばしていくと不純物が沈み、
45. 分離した油脂が浮上してくる。
46. 色が黒くなり始めたら、油脂分をすくい取り、
47. ひょうたんのボウルに取り上げる。
48. 表面のあくを取り除く。
49. 液状の油脂を別の容器に移し、不純物を分離させる。
50. 残っているホイップ状油脂で同じ作業をする。
51. 熱いうちに、布のフィルターを通して、別の器にそっと移す。沈殿物とシア・バターの油を分ける。
52. 汚れが入らないようにふたをして、容器を水で冷やす。
53. 冷えて固まったシア・バター
シア・バターは12月、1月に作るのが良い。作った後、一晩中野外に放しておくと、寒さでバター状になる。
54. 出来上がり

11時30分にすべての作業が終了。あっと言う間だった。作業はてきぱきとしていた。

Kodelから、「義理のお父さんに会いに行って欲しい」と言われた。会いに行くと、義理のお父さんから、「タバスキ(犠牲祭)が近いので援助して欲しい」と頼まれた。私が10.000FCAを渡すと喜んでいた。

私が持って来た、缶詰とパンを食べる。Kodelはマフェを作ってくれていたが、落花生をつぶしただけで、結局間に合わなかった。Kodelへのお土産に持って来た日本の缶詰を、村の女性達と少しづつ食べ回ししていたのには感動した。

村の市場では、シア・バターを小さな半割のひょうたんのスプーン1杯、100FCFAで売っていた。

別れ際に、Kodelの息子が泣き始めた。Karaとの別れがKodelにとって悲しいことを息子は感じとったのかもしれない。13時出発。どこからやって来たのか、2人の警察官がすでに車に乗っていたのには驚いた。Tambacoundaまで送って欲しいとのことだった。

帰りの道で、車がまた停まったが、皆で押したら動いた。スペアタイヤが無いので、パンクしないかとひやひやしていた。

ダカールに戻って、シア・バターでできた石鹸を使ってみた。外見から受ける印象とは違って、くせは感じられなかった。とてものびが良く、泡立ちがよくほのかに《水》の香りがした。

市場で売られているシア・バター
量り売り
シア・バターのかたまり

2件のコメント

シアバターの木初めて見ました。(写真ですが)。これからもいろいろな木を紹介してください。

コメントありがとうございます。
日本には無い、珍しい木を紹介してゆきます。御期待ください。
今後とも引き続きフォローをお願いいたします。

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