マドレーヌ諸島国立公園 (通称:ヘビ島)

ダカール市内のコルニッシュ(海岸通り)を通ると、大西洋側に小さな島々が見えます。

晴れの日も、雨の日も、風の日も、ただそこに佇んでいるだけですが、その時の気分に応じて、暗く見えたり、明るく見えたり、輝いて見えたりします。

筆者のセネガル滞在中、休みの日にはゴレ島に次いで頻繁に行った場所です。

島は無人島で、レストランもカフェも土産物店もありません。

エンジン付きのピローグ(小舟)で島に渡り、島内を散策した後、海と空をぼんやりと眺めているだけで、時間はまたたく間に過ぎてゆきました。

(島には携帯用の電波が来ていて、その電波塔がヤシの木の形にカムフラージュされています)

ある日、シャルル・トレネCharles Trenetの「ラ・メールLa Mer」を歌いながら、いい気分で島を歩いていると、突然、プロジェクト・マネージャーから緊急の電話が入り、客先との通訳を依頼されました。

話しの内容はシリアスで、井戸の掘削作業中、パイプが井戸の中に落下してしまい、その詳しい状況と原因、今後の対応をヒアリングすることでした。

電話での話し合いは、1時間ちかく続きましたが、目の前に広がる大西洋と向かい合って延々と通訳をしたのは、後にも先にもありません。

また、筆者の娘がセネガルに遊びに来た時、最初に連れて行ったのもこの島です。

筆者にとって思い出深いその島が、「マドレーヌ諸島国立公園」です。

【マドレーヌ諸島国立公園 (通称:ヘビ島)】

セネガルには次の国立公園が存在する:

・マドレーヌ諸島国立公園 (世界遺産暫定リスト登録)

・ラング・ドゥ・バルバリ国立公園

・デルタ・デュ・サルーム国立公園

・ジュ―ジ鳥類国立公園 (世界遺産登録)

・バス・カザマンス国立公園

・ニョコロー・コバ国立公園

上記の6つの国立公園の総面積は130万ヘクタールで、セネガル国土の面積の1.5%に相当する。

マドレーヌ諸島国立公園全景
(Wikipediaより転載)

マドレーヌ諸島国立公園は、ダカール市から西へ約4km離れた大西洋上に浮かぶ、陸上・海上の面積合わせてわずか45ヘクタール(0.45km2)の世界最小の国立公園。ユネスコの世界遺産暫定リストに登録されている。

マドレーヌ諸島国立公園の実際の総面積は500へクタールであるが、ユネスコに登録されている面積は45ヘクタールである。

玄武岩の崖は険しく、何百万年もの間、大西洋の海と風に浸食され、あたかも現代彫刻の作品のようである。色々な種類の鳥類、渡り鳥がいる。鳥たちの保護地区としては、セネガルで唯一の海上国立公園。

1976年1月に自然保護地区の国立公園に指定された。

マドレーヌ諸島国立公園は豊かな生態系が残っている。

地質時代区分の第3紀(6500万年前から200万年前の期間)の火山活動から生じた次の3つの火山島から成り立っている。

1.サルパン島Ile Sarpanまたはセルパン島(蛇島)Ile aux serpents:

公園の中で大きい方の島。海と風による強い浸食は、垂直な玄武岩柱を徐々に作りだしていった。崖の高さは約35m。その外観は海に沈んだ巨大なパイプオルガンのようである。

波のうねりの衝撃を常に受ける周辺の玄武岩柱は、広い範囲で崩れ落ちている。崩壊した岩は、水面下に隠れ見えないため、近くを通過する船は難破する危険がある。このことは、人々を島から遠ざけるレブ―族の伝説に変わっていった。

「セルパン」はフランス語で「蛇」という意味だが、セルパン島に蛇がウジャウジャいるわけではなく、対岸のヴェルデ岬でも見られるナミヘビやアフリカニシキヘビが若干生息しているだけである。これらのヘビは、向かいのヴェルデ岬から泳いで島に渡って来たと考えられている。

サルパン島全景

2.ルニュ島Ile Lougne:

サルパン島の南にある2つの岩礁。円錐形に削られた巨大な玄武岩のかたまり。火山性の玄武岩柱。

約15ヘクタール(=0.15km2)の面積を持つ。崖の高さは約27m。外観はほぼ真っ白。これは渡り鳥オオウの糞によるものである。

「ルニュ」は、レブ―語で「水面に出ているもの」という意味。

この島には上陸できないが、ダイビングクラブのダイバーたちがこの島の周辺でダイビングをしている。

3.ラル島Ile Lare:

公園の中で最も小さい島。

左上に見える小さな島がラル島

都会の喧騒から逃れ、広い空を飛ぶ鳥を眺め、海からの風を感じる。

それだけで心が休まる場所である。

しかしながら、この国立公園は現在、種々の環境危機にさらされている:

・風と海による浸食。

・島から50m以内は禁漁区となっているが、密漁者があとを絶たない。

・水産資源を大量に破壊するダイナマイトを用いた違法な漁業も横行している。

・国立公園局は、これらの密漁を取り締まっているが、6人の沿岸警備員とピローグ1台では十分な体制ではなく、資金面でも苦しい状況にあると言う。

渡り鳥の時期には、マドレーヌ諸島国立公園は渡り鳥たちの重要な中継地点となっている。寒い国からやって来る渡り鳥たちは、サルパン島の岩の割れ目に巣を作ったり、中南米に旅発つ前に、いっとき翼を休めたりする。

《歴史》

約6500万年前、アフリカ大陸がアメリカ大陸から分裂し大西洋が誕生した。

火山の大噴火により大量の溶岩が一気に流れ出て、ゆっくりと冷えて固まると、規則正しく割れて柱のようになる玄武岩の柱状節理ができた。そして、長年の波の浸食を受け、現在のマドレーヌ諸島が誕生した。

2000年前には人が住んでいて、新石器時代の石器、人骨、貝殻、土器の破片などが発見されている。

1444年、ポルトガル人探検家のディニス・ディアスDinis Diasがマドレーヌ島を発見。

アズララの『ギネー発見征服誌』には、「ディニス・ディアスの一行はある島に上陸し、そこでたくさんの山羊と鳥を見つけ、大いに元気を回復したということである」(第31章)と記載されている。ディニス・ディアスは同時にゴレ島も発見し、《パルマ島Ile de Palma》と名付けた。

(ゴレ島はその便宜性と利点ゆえに発展してゆくが、奴隷貿易の拠点という負の運命を背負うことになる。一方、マドレーヌ諸島は、不便さと危険性ゆえに忘れ去られ、《孤独な島》となるが、逆にそのことが自然保護の基盤をつくったと言える)

1455、イタリア人探検家カダモストは、マドレーヌ島に上陸し、『航海の記録』に次のように記述している:

「ヴェルデ岬の先端は暗礁をなし、およそ半マイルも海中に突き出ている。これをまわると、陸地からほど遠からぬ距離に小島が3つ発見された。いずれも無人島である。島中が緑豊かな大木で覆われている。われわれは飲み水が欲しかったから、泉を探しに、一番大きな、たわわに果実を実らせている島近くに錨を投じた。が、上陸してみると水はなかった。一か所だけ微の湧き水を認めたけれども、われわれの役には立たなかった。島には、われわれが見たこともない、いろいろな種類の鳥の巣と卵があった。その日は終日島にとどまり、われわれは釣り糸を垂れた。大きな針に魚がいくらでもかかってくる。タイ類とオラータ(Sparus Dentex)とが特にたくさん釣れた。一匹の目方が12から15リップレ(ポンド)もあった。折しも6月のことである。」(第34章)

Sparus dentex

1649、ヴァランタン・フェルナンデスValentin Fernandezは、「2つの島には、多くの鳥や貝や緑の木々が見られる」と述べた。他の探検家も「この島にはたくさんの鳥がいて、玄武岩の崖は鳥たちの糞で白くなっている」と報告している。オランダ人たちは、島を「糞でまみれた島」と表現し、探検家アルバンクールArbancourtは、「糞の島」と形容した。

1749、フランスの植物学者、ミッシェル・アダンソンが島を訪れた。彼は後日、バオバブに「Adansonia digitata」という学名を付けた。

1765、カイヨール王国の君主は、島をフランスに永久譲渡した。

1770、ゴレ島在住のフランス人、ラコンブLacombe氏は、島の玄武岩を使用して小屋を建てた。彼はそこで野菜を育てようとしたが、失敗した。その他、いろいろな試みをしたが、失敗に終わっている。唯一、成功したのは、島に生育していた「小人のバオバブ」をゴレ島に移植したことで、現在、このバオバブをゴレ島の広場で見ることが出来る。

1944、島をサッカー場、映画館、スピアフィッシングのリゾート地に整備する「フランス領西アフリカ海浜保養所プロジェクト」が提案された。(最終的にこのプロジェクトは頓挫した)

1949、島の生態系の破壊を懸念したレブ―族の住民の陳情に基づき、島の自然を保護する政令が制定された。

1976年、マドレーヌ諸島国立公園が創設される。

2005年、ユネスコの世界遺産に暫定登録される。

《名前の由来》

マドレーヌ諸島は、かつて《鳥の島Ile aux Oiseaux》と呼ばれていた。

現在、ダカール市民はこの島を《セルパン(蛇島Iles aux serpents》》と呼んでいるが、ヘビの棲みかになっている訳ではない。

では、何故《蛇島》と呼ばれるようになったのか?

島の名前の由来には諸説あるが、代表的なものを以下に紹介する:

1.レブ―族の伝説によると、マドレーヌ諸島は、守護神(精霊)ルク・ダウール(またはンドゥック・ダウールNdeuk Daour)に守られている。この守護神がヘビの姿をしていたことから、《ヘビ島》と呼ばれた。

2.フランスの植民地時代、《サルパンSarpan》という名前の軍曹が、軍に反抗した罰として、この島に度々流刑された。この軍曹の名前から《セルパン島Ilot Sarpan 》と呼ばれるようになったが、ある日、ヴェルデ岬周辺に居住するレブ―族の人々がこの島を訪れた際、この軍曹と出会った。軍曹は「私はサルパンだ」と名乗ったが、蛇を意味する《セルパン》と軍曹の名前《サルパン》の発音が似通っていることから、レブ―人の住民は島から帰った後、「島で『ヘび人間Homme Serpent』と出会った」と言いふらした。この噂が人々の間に広まり、いつしかこの島は、《セルパン(蛇島)》となった。

3.フランスの植民地時代、島は軍隊の反抗者を隔離する場所だった。ある時、サルパンSarpanという名の軍曹がこの島に流刑になった。彼は囚人たちの中で最も反抗的で、最も長い間島にいたので、彼の名前がこの島の名前に定着した。

4.サルパンは、レブ―族の人々が創りだした人物で、ヨーロッパ出身とされている。彼は島の守護神ルク・ダウールLeuk Daour(またはンドゥック・ダウールNdeuk Daour)の同意なしに家を造り始めた。彼は、レブ―族の人々の警告に耳を貸さず、頑固だった。すると、家は毎晩少しずつ壊れていった。彼はスンべディウンヌ地区Soumbédiouneの住民が彼の計画を妨害していると思い、住民のところに行き不満を述べた。しかし、住民は「自分達は何も関与していない」と答えた。家はさらに壊れていった。ある日、彼は家のドアの前に糞で出来たムチを見つけた。彼は住民の嫌がらせだと思い、スンべディウンヌ地区の有力者と会って問題を訴えた。町の有力者は、「あなたがあくまでも家を造ることに固執するなら、ムチを持った守護神ルク・ダウールに打ち負かされるだろう」と言った。不幸なことにその警告は当たってしまった。彼は家を造ることをやめ、未完の家は廃墟として残った。こうして彼の名前が島の名前となって残った。

因みに、レブ―族の人が多く住むスンべディウンヌ地区の名前は、ウォロフ語で「柱を設置する」を意味する《サンパ・ディユムSampa Dioum》に由来している。これは、「石油に浸した木片に火をつけ、瓶に入れて柱のてっぺんに取り付ける」ことで、夜間、漁業を行う漁師たちのための手作りの灯台として役立った。

ヴェルデ岬周辺に住むレブ―族の人々は現在も島にお供えをする習慣がある。レブ―族出身の大政治家も島にお供えをするという。

マドレーヌ島やスンべディウンヌ地区のヴェルデ岬は、ルク・ダウール守護神(またはンドゥック・ダウール)に守られている。ゴレ島はクンバ・カステル守護神Coumba Castel、リュフィスク市はクンバ・ランバイ守護神Coumba Lambayeに守られている。

レブ―族の人々は、島が守護神ルク・ダウールの棲家と考え、しばしば島に行って白い雄鶏を殺し、いけにえと捧げたり、御神酒を奉納したりする。

また、時々、島の丘の上のお祈りをする場所で、ダカール市内のモスクに向って瞑想をする。

島の《神聖》を守るため、あたかもマドレーヌ島に蛇がはびこっているかのように《蛇島Ile aux sepents》と呼び、他の人がマドレーヌ島に寄り付かないようにした。

島の植物の実を採り、持ち帰ることは禁止されている。これを守らないと、帰路、ピローグ(小舟)は転覆し、植物の実は大西洋の海の底に消えてしまうと言われている。

レブ―族の人々は、島を《ウールWër》(「迂回する」という意味)と呼んでいるが、これは、ダカール港に向かう船が暗礁を避けるため、島を「迂回した」ことに因る。

尚、《マドレーヌ》という名前は、フランスの船の名前からつけたようである。

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