《付録》では、図鑑のどのカテゴリーにも属さない話題を紹介します。「ブログ」の中の「フロク」です
最近、日本では、赤ちゃんを胸の前でだっこするスタイルが主流を占め、赤ちゃんをおんぶする人を見なくなったような気がします。(多分、家の中ではおんぶしているのでしょうか?)
セネガルの村に行くと、年端もいかない女の子が、自分の体の半分くらいの赤ちゃんをおぶっているのをよく見かけます。その姿を見て、筆者は、「貧しい」とか「哀れ」とか、そのような感情を抱くのではなく、女の子の純粋な「けなげさ」にいつも心を打たれます。
【子守り】Aayoo
《日本の子守り》
大森貝塚を発見した、アメリカの学者モースは、1877年、日記にこう書いている:
『日本では、ほとんどの子どもが赤ちゃんを背負っている』
イギリス人旅行家イザベラ・バードは、日本人が子供を可愛がることについて鋭い観察をしている:
『私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。抱いたり、背負ったり、手を取り、子どもがいないといつもつまらなさそうである』
エミール・ゾラやゴンクール兄弟と親交のあったフランス人画家、ビゴーは1882年1月から17年余り日本に滞在し、絵筆によって明治時代中期の日本人を記録した。
『ビゴーが見た日本人』の著者、清水勲氏は『ビゴーは子守り少女のかいがいしさが気に入ったらしく、スケッチをたくさん描いている』と述べ、ビゴーと半年ほど交際したことのある桜田助作のビゴーの思い出を引用している:
『道路で、子守の少女が向ふ鉢巻で小児を袢纏(はんてん)おんぶし羽根をつき又は毬(まり)をつくのを見て、向ふ鉢巻は少女の髪毛が小児の顔に触れぬ為であり、又子守が遊ぶと同時に小児も楽み得るので、日本の子守は悧巧(りこう)であると感服して、屡々(しばしば)之を写生された』(『あみ・ど・ぱり』より)
《子守りの風景》
動物学者の今泉吉晴氏によると、「子供が親の背中にしがみつく行動は他の動物にも見られるが、親の側から子どもを背負うのは人間独特の行動である」とのこと。
それを考えると、子どもが赤ちゃんをおんぶし、あやしたりする人間は本当にすごい!
天使をおんぶする天使たち
《おんぶ紐のつけ方》
日本では、おんぶ紐を肩にかけるが、アフリカでは、腰と背中に巻き付ける。
《別バージョンの赤ちゃんの抱き方》
背中でも胸でもなく、腰骨の上で赤ちゃんを抱く。おんぶとだっこの中間の抱き方。
暇なのでこの抱き方の名称を考えてみた。
「おんだっこ」「だっこんぶ」「赤ん坊の腰掛け」
どうでしょうか?
《子守り歌》
村で録音した、ウォロフ族のおばあさんが歌う子守り歌を聴いてください。
(筆者訳)
Aayoo nenne | アアヨー ネンネ (寝なさい 赤ちゃん) |
Aayoo nenne | アアヨー ネンネ (寝なさい 赤ちゃん) |
Nenne tuuti | ネンネ トゥティ (可愛い 赤ちゃん) |
Sama nenne warul joy | 私の赤ちゃん 泣かないで |
Kan moo ko tooñ | 誰がおまえに悪さをしたの |
Sama nenne wax ma ko | 私の赤ちゃん 言ってごらん |
Ndax sama nenne warul jooy | だからもう泣かないで 私の赤ちゃん |
Aayoo nenne | アアヨー ネンネ (寝なさい 赤ちゃん) |
Aayoo nenne | アアヨー ネンネ (寝なさい 赤ちゃん) |
Nenne tuuti | ネンネ トゥティ (可愛い 赤ちゃん) |
セネガルの子守唄は、ノリの良い曲かと思っていたが、意外と哀愁があって日本の子守り唄とよく似ている。
ちなみに、「ネンネ」はウォロフ語で赤ちゃんのこと。
日本では、
ねんねんころりよ
おころりよ
坊やは良い子だ
ねんねしな
という子守り唄があるが、「ネンネ」と「ねんねん」、同じような発音の言葉が使われることに何か不思議な運命を感じる。
私も眠くなってきましたので寝ることにします。
では、おやすみなさい。
【参考文献・Webサイト】
・『ビゴーが見た日本人』清水 勲 (講談社学術文庫)
・『日本奥地紀行』イザベラ・バード 平凡社
日本は専用のオンブ紐で背負われる赤ちゃんを見慣れているせいで、初めて見た時は驚きました。スゴイ体制で背負われて。そして皆、丈夫になる。
コメントありがとうございます。
アフリカの人はこのようにして身体能力が高められるのかもしれません。
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天使をおんぶする天使は何度みても感動です
まさに天使の微笑み
コメントありがとうございます。
あの日おんぶされていた赤ちゃんが、
今は、自分をおんぶしていた女の子の赤ちゃんを
おんぶしているのではないかと想像します。
時代はまわる。
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宮崎君こんにちは
久しぶりに来てみました
改めて読み返すと
時間軸が『億年』単位なのですね
『三体』を読んでから長い時間軸も苦にならなくなりましたが
人類史上、億万年を文章に落とし込んだ人は
リウ・ツーシンと光瀬龍と宮崎義彦だけではないでしょうか!(笑)
また寄らせていただきます
コメントありがとうございます。
勇気をもらいました。
人間世界の出来事は1つ1つ別に起こっているようですが、
すべてが線で繋がっています。
今、私がここにいるのも地球が生まれたはるか遠い日に、
億万年という目に見えない⦅へその緒⦆でつながっているような気がします。
9月末に「セネガル現代美術」をアップする予定です。
準備に6月かかってしまいました。
かなりの大作で、時間に余裕が無い人は一気に読むことができません。(笑)
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