セネガルの現代美術 2/5

ヴィエ・ディバ  Viyé DIBA

1954年カレンタバKarentaba (セディウ県)に生まれる。

国立芸術学院Institut National des Arts卒業。

芸術教育高等師範学校(ENSEA)卒業。

国立美術学校(Ecole Nationale des Beaux-Arts)環境科およびENSEA教授

セネガル造形芸術家協会(ANAPS)会長

1998年の「ダカール現代アフリカ美術ビエンナーレ」でグランプリを受賞。

造形美術家

ヴィエ・ディバの絵画の世界は、闇と神秘の部分と対照をなす、きらめく光で満たされている。

筆者:「ヴィエ」という名前はあまり聞かない名前ですが、雅号ですか?

ヴィエ:父が名前を役場に届ける時、「Vieux (ヴィユ―)」と言ったのですが、役場の職員が、「Vié (ヴィエ)」と聞き間違え、そのまま登録されてしまったのです。(訳注:Vieux (ヴィユ―)はフランス語で「年寄り」という意味だが、「親愛の情」を示す言葉でもある)

筆者:作品のテーマは何ですか?

ヴィエ大地に向ってゆく重力です。垂直に下に向かう力にはエネルギーがあり、そこには、自然の動きを感じ、自然とのコンタクトがあります。「創造性は《街の通り》にある。」という言葉が好きです。《街の通り》は日常の現実を示しています。

『重力』

『重力  素材のシルエット』

筆者:作品はどのように描かれるのですか?

ヴィエ:西洋の絵画の手法は美術学校で勉強しましたが、私は、自分独特のテクニックで絵を描いています。例えば、キャンバスに描くのではなく、伝統的に織られた綿の腰巻や木の板に描きます。木の板は垂直に並べられ、その上に腰巻をテンポよく配置しリズム感を与えます。木片や布や糸を繋ぎ、組み立てます。制作中は、イーゼルを使わず、地面に材料を並べて作品を作っています。

筆者:あなたの絵の色彩はとても美しいです。

ヴィエ:私はパレットを使わず、布や手を使い、ペンキの缶から直接キャンバスに塗り付けます。緑色、ピンク色、洗練された青色、黄色、黄土色など鮮やかな色で作品は際立ちます。

『報告1』

筆者:特に好きな色は何ですか?

ヴィエ:空や海のような「天上の青」です。ただ、私の作品においては、赤色が「基本色」ですが、例えば「赤」という色が問題ではなく、赤色の質感と色の状態が大変重要なのです。

『新しい構図』
(「ART SOLIDARITE」より転載)

筆者:あなたの作品では、街で拾って来た廃材が美しくリユースされていると思います。

ヴィエ:自然環境を考慮し、街で廃材を探し、作品にリユースしていますが、朽ち果てて、生気のないオブジェに命を吹き込むのが私の使命です。

筆者:あなたに影響を与えた画家はいますか?。

ヴィエ:自分に影響を与えた画家は特にいません。

インタビューを終わった後、ヴィエは筆者がタクシーに乗るところまで送ってくれた。

途中、「言い忘れたことがある」と言って、「アフリカ現代美術館を建設する必要がある」ことを強調していた。

破れて汚れたポスターが貼ってある壁を見つけると、とても気に入ったらしく「僕はこのように、街の壁に貼ってある、破れて薄汚いポスターに美しさを感じるんだ」と言って、しばらくそれを眺めていた。

筆者は彼をその横に立たせ写真を撮ると、とても喜んでいた。(その写真が冒頭で掲載した写真です)

タクシーに乗る時、ヴィエは、「外人値段」をふっかけられないように、タクシーの運転手と値段の交渉をしてから、筆者をタクシーに乗せてくれた。

ディバの作品は、ワシントンのスミソニアン・アメリカ美術館に所蔵されている。

アトリエで作業中のヴィエ

人類学者で美術評論家のウスマン・ソウ・ユシャール氏との対談 (筆者訳):

ユシャール:あなたはどのように美術という分野に到達したのですか?

ディバ:高校生の時、科学や数学や物理に興味がありましたが、経済的な理由で高校を中退し、ダカールのホテル・テランガ(現ホテル・ソフィテル)で働きました。しかし、ホテルの仕事に馴染めず、3ヶ月で退職しました。ある日、新聞で美術学校の入学試験があるのを知り、受験したら、合格しました。入学して、専門のセクションを選ぶ際、私は、家庭の経済的理由から、卒業後は必ず働くことが出来るセクションを選ぼうと思いました。ピエール・ロッドがまだ美術学校にいましたが、彼のクラスには行きませんでした。私は造形美術の先生になるためのセクションを選びました。これが私の美術との出会いです。

ユシャール:あなたは現在、造形美術家と同時に美術の先生でもあります。どちらの方が、大きいウェイトを占めていますか?

ディバ:私は、単なる先生でいることには満足していません。造形美術家としてのプロの実践が私の教育の仕事の質を向上させているのは確かです。

ユシャール:あなたは研究することに興味があるようですね?

ディバ:私は《知識》というものは好きではありません。自分の創作活動をより高めるために研究しています。だから、人は私のことを《研究者》と呼んでいます。

ユシャール:環境保護の見地から、廃材を使うという考えは、造形美術における潮流ですか?

ディバ:環境問題は今日、世界的な問題です。セネガルでは、多くのアーティストたちが廃材などを作品でリユースしていて、一種の《流行》になっています。私は《流行》には懐疑的です。《流行》を形成する要素が消滅すると、《流行》もまた消滅するのです。

ユシャール:あなたの創作活動の基礎になっているものは何ですか?

ディバ:1990年に国立美術ギャラリーで開いた個展のテーマは、「環境、文化の証人」でした。何故「文化の証人」なのか?なぜなら、作品にリユースしている木材や紙きれなどの素材には、人間の形跡をどこかに残しているからです。それらの素材は、社会的、歴史的、経済的、文化的重要性を持っていて、私たちの日常における文化的行動の象徴です。

ユシャール:あなたが実践している廃材のリユースやリサイクルについて教えてください。

ディバ:私にとって、製品の命には3つの段階があると思います。まず製品の製造に使用された《原料》の段階。次に製造が完了した《完成品》の段階。そして、リユースのため製品が回収され、私が《第3の年齢》と呼ぶ、新しい命を与えられたリサイクルの段階。このように、リサイクルの精神は、正常な年齢を終了したオブジェに、《第3の年齢》を与えることです。私にとって、それはとても興味深く、私の創造性を刺激します。一般的に、人々は《創造性》と《創造》を混同しています。《創造性》は、単純に精神的素質であり、《創造》は、それを証明するプロセスです。

私にとって、材料自体は重要ではありません。なぜならば、例えばギャラリーで「はしご」が展示されることは、一般的には非常識なことですが、興味深いのは、この「はしご」の展示の裏側にある精神的素質を見ることです。人々はお金がなければ、絵を買う必要はないのです。私は生きるために、お金をたくさん持っている人に絵を売らなければなりません。一見役に立たないものが、何百万FCFAの美術品に私が作り変えたということを、お金がない人にも理解して欲しいと思います。

ユシャール:1990年はあなたにとって充電期間だったそうですが、その期間、ダカールのソウェト広場にあるアフリカ美術博物館に通っていたと聞いています。そこで何を観察していたのですか?

ディバ:当時、アフリカ美術のアイデンティティに関する観念が頭から離れませんでした。「それはアフリカ的だ。それはアフリカ的ではない。こういう風に絵を描いたら西洋的だ」という事をよく聞きました。私はそのような議論には耳を傾けませんでした。

私は、3ヶ月間仕事を止め、自分自身の道を考えることにしました。この期間は、毎日博物館に行き、仮面や彫像を丹念に観察し、それらと目と目を合わせ問いかけました。私は、仮面や彫刻をコピーすることなく、アフリカの魂を心に持つ必要性を理解したかったのです。

ユシャール:結局、あなたはアフリカ美術の源にたどり着いたのですか?

ディバ:はい。それは必要なことでした。3ヶ月間の観察後、作業に関し次の3つの事項を確認しました。第1の事項は、彫刻とマスクの構造に関することです。第2の事項は、彫刻家が作品に使う素材の割合です。そして第3の事項は、アフリカの伝統美術における素材の役目です。

第1の事項の彫刻やマスクの構造については、今日の私の作品のテーマと同じで、「重力」という概念です。アフリカの彫刻家は、重心を下方に移動させて彫刻のバランスを調整しています。形を誇張するため、形が地面に近づいてゆく重心を創りだすのです。従って、そこには重力があり、より良い基盤があり、大きな安定性が生まれるのです。この安定性は、バランスの概念より優位にあります。これが第1の確認事項です。

第2の確認事項は、アフリカの彫像の構成比率です。西洋では、体は頭の7倍半ですが、アフリカでは体の3分1が上半身です。つまり、構成の基準は頭ではなく、上半身となります。これは非常に重要なことで、長い間私の関心事でした。

第3の事項は、とても重要で、垂直軸すなわち垂直性です。宇宙の体系の中で、垂直性は、大地と大空を繋げています。この事により、不均衡な構造と均衡な形の調和が成り立っているのです

ユシャール:アフリカの古典的な彫刻の形は、典型的なアフリカの重力と垂直性の法則に従っているということですね。

ディバ:そうです。それは彫刻の形について言えることですが、ここからは、材料との関係について話します。西洋と違って、セネガルでは画材のための材料は存在しません。材料は同時に画材なのです。

アフリカの人々が身体切傷や入れ墨をするように、アフリカのアーティストは、材料である木材を痛めつけます。木材が反応すると、木材とアーティストとの間に対話ができ、コミュニケーションが生まれます。私は仮面自体に興味はありません。むしろ造形美術に関する懸念、例えば、どのように材料を回収できるか?どのように価値を付加できるか?どのように美術作品としての尊厳を高められるか?に興味があるのです。

そのため、私は西洋の布の代わりに、セネガルの布を使って作品をつくっています。そして私は今、この材料と共に重力と垂直性の問題を明らかにしようとしているのです。

コンポジション(構図)については、私の作品の下の部分に注目してください。地面に近づこうとする力は、地球人でありたいという私たちの願望そのものです。彫像とダンスを比較してみると、彫像の姿勢はダンスの姿勢と同じであることが分かります。なぜならば、アフリカのダンスは、均衡を破壊することを体に課す一方で、全体の調和を裏切る別の均衡を創り出すことを求められるのです

ユシャール:あなたは、アフリカの古典美術に見られる《リズム》の根拠を指摘していますね。

ディバ:はい、確かに。私はそれを《リズム》と呼んでいて、彫刻の表現方法に見ることができます。

ユシャール:形の構成比と重力の関係を無視することなく、安定性を与えることですね。

ディバ:まさにその通りです。私たちアフリカ人がダンスを踊る時、下から上に動き、そして地面に降り立ちます。しかし、西欧の人たちは体を宙に浮いたまま維持しようとします

ユシャール:詩人が言っているように、あなたたちは地面を太鼓のように叩くのが好きですね。

ディバ:その事こそが私たちを地球人にしているのです。セネガルの人々は食事をする時、地べたで食べます。ダンスをする時は、地面に舞い戻ります。音楽においても、ある種の重力、音色、地面を際立たせる重さがあります。それがアフリカ美術の精神で、これからはそれを現実に結びつげなければなりません。それこそが、今、私が実践していることの意義なのです。

ユシャール:あなたにとって絵画とは何ですか?

ディバ:私は、伝えたいこと、主張したいことがあるので絵を描き、それを絵で表現しています。絵画は最も説得力のある言語です。口頭の発言は録音されていなければ、消えてしまいますが、絵画は不滅で常に豊かです。

ユシャール:あなたは農民の出身ですが、都市の環境と同時に地方の環境にも関心を持っているのですね?

ディバ:私は人間の重要性を表現しています。民族を表現しているのではありません。私の作品は私の出身のマンダング族を超えて、広い意味での社会を表現しているのです。

ユシャール:あなたにとってリズムと空間と、どちらがより魅力的ですか?

ディバ:両方です。私にとって、絵画とは、空間に色の位置を決めることです。絵画において、色は形に勝っていますが、デッサンにおいては、形が色に勝っています。

私にとって、アフリカ美術は存在しません。セネガル美術も存在しません。セネガル独自の問題とかアフリカ独自の問題などはないのです。

その代わり、アフリカには現代的な問題があり、セネガルにも現代的な問題があります。私の問題は、アフリカ人になろうとすることではありません。なぜなら、私はすでにアフリカ人だからです。アフリカの魂は私の心にあります。私はそれを銃のように肩から斜めにかける必要もないし、妄想にとりつかれる必要もありません。

ユシャール:アーティストの出身地というのは作品の評価に影響されると思いますか?

ディバ:不思議なことに、私たちの出身地は、作品の評価に影響を与えるようです。私がセネガルから来たと分かると、私の作品に対する評価は、私の国が国際関係においてどのような役割をしているかに掛かっています。例えば、日本人アーティストに出会ったとすると、彼が日本人であると分かっただけで、彼の価値が上がるのです。しかし、私たちアフリカ人の場合、私たちの政治家の期待外れのパフォーマンスの影響をまともに受けてしまうのです。

今日、私たち独自の創造の価値を高めるためには、西欧の構造に従うしかないのです。まさにそれは悲劇です。

アフリカでは、西欧のアーティストを羨まないアーティストたちがいます。しかしながら、作品の質にかかわらず、《セネガル》または《コートジボワール》という名があるだけで、その作品は《付属品》になってしまうのです。これは知識人の世界でも同じです。アメリカ人の専門家の前では、セネガル人専門家は無に等しいのです

ユシャール:あなたたちアーティストはその問題を体で感じるのですか?

ディバ:私はレッテルを貼られるのを拒否します。なぜならば、それは他のところで勝手に定義された分類だからです。私は、ある期間、ある特定の地理的空間で、素材を用いて自己表現をする人間です。

ユシャール:あなたの作品は現代セネガル美術において、アバン・ギャルド(前衛芸術)に属しますか?

ディバ:はい、そう思います。アバンギャルドは私にとって、ある特別な世代という問題ではありません。作品の作り方の問題です。アバンギャルドは型にはまった行動から逃れることです。

ユシャール:アバンギャルドのアーティストたちは、改革者であり、新しい潮流の探究者であり、破壊の創造者ですか?

ディバ:アバンギャルドは、未来であり、運動です。私は繰り返されるものや、動かないものは好きではありません。変革する人、まだ探究されていない分野を発見する人が好きです。

ユシャール:廃材のリサイクルの話しに戻りますが、あなたは「荒廃したイメージは別の問題を提起する」と言っています。リサイクルは本当に持続的で将来性のある道なのでしょうか?

ディバ:私が「荒廃したイメージ」の話をした時、私は自分の作品を思い出していたのです。1990年に、《証人》という題名の作品を製作しました。まず新聞の切り抜きを布に貼り付け、そしてそれを引きちぎり、引き裂き、擦りました。これは、「民主主義の荒廃は、かみ合わないコミュニケーションを引き起こす」という考えです。

壁に立小便をする人がいますが、小便をするという行為は自然ですが、小便が壁に及ぼすインパクトや、色の変化、壁の材料の質など、それらはすべて、造形美術論になります。壁は人間の行為の影響を受ける訳です。同じように時間にも2つの局面があります。人によって引き起こされる局面と周辺の現象から生じる局面です。

ユシャール:ムスタファ・ディメは1996年のダカール・ビエンナーレの彫刻部門でグランプリを受賞しました。彼もまた、材料を選び製作する苦しみを感じつつ、その重要性を造形美術の中に表現しました。彫刻家と画家の間に見解の一致はありますか?

ディバ:私たちは拾ってきた廃材を使用しますが、その使用に関し私たちの見解は異なっています。彼は作品に使用する廃材に、特に、アフリカの文化の象徴である《杵》をよく選びます。しかしながら、私はアフリカの文化論に基づくのではなく、素材の持つ独自の状態に基づいています。彼は彫刻家で、私は造形美術家です。画家ではなく、造形美術家です。私の最近の作品では、布の上に結び目を作っています。結び目を作り、後ろに下がり、そして前に進み、彫刻をします。

ユシャール:あなたはムサ・ティヌやアマドゥ・バやスリンヌ・ンバイ・カマラと芸樹家グループを作っていますね。

ディバ:はい。特にスリンヌ・ンバイ・カマラは、私の長年の友人で、一緒にフランスに留学したことがあります。セネガルに戻って、一緒に作品を作り始め、今でも定期的に会っています。彼は金属を的確に利用し別の力学を選びました。

ユシャール:どのようにリサイクルの材料の利用を始めたのですか?

ディバ:私はまず、植物を利用しました。そして生活の中で見つけられるすべての物を試し、砂を貼り付けたり、木の枝を利用したりしました。また、リズムの付け方や、画材や材料によって色のコンセプトがどのように変化するかも研究しました。

木の枝を並置すると、水彩画では得られない色の変化があることも発見しました。

ユシャール:あなたは、ANAPS(セネガル造形芸術家協会)が1985年に主催した最初のサロンに出品していますね?

ディバ:1985年にディナミック美術館で開催された「セネガル造形美術家サロン」に初めて出品しました。私はその時はまだ研究段階でした。私を取り巻く環境の現象を見つめ、観察し、それをキャンバスに表現しようとしていました。古典的な技術でデッサンをしていましたが、それは私が色々な形を表現するのが好きだったからです。ただ、私は、対象を詳細に描くことは好きではありませんでした。そのうちに、私が興味のあるのは、形に表れる⦅質量⦆だと分かりました…

ユシャール:形をすでに破壊していたのですね。

ディバ:私はセネガル女性に関する多くの作品を制作しました。彼女たちの服装の素晴らしい色は私のインスピレーションの源です。

セネガル女性は、適切な色のコーディネートによって《服装で絵を描く》ことを知っています。また、彼女たちの手の表現や、動作も魅力的です。

彼女たちの女らしさは手で表現されます。しかしながら、私は彼女たちを真正面で表現することはしません。それは、私の制作過程における特徴的な要素です。私は正面の表現は簡単だと思っています。なぜなら魂の状態は顔に表れるからです。私にとって、体全体の方が感情をより良く表現できると思います。人の怒りというのは、その人の背中や動作を見れば感じることができます。

ユシャール:あなたの作品の本質的なテーマとなっている《時間の物質化》にどのように到達したのですか?

ディバ:私のコンポジション(構図)の理論からすると、オブジェは2次的なものです。私は造形することにしか興味がありません。オブジェを見る時、まずその⦅状態⦆に目がゆきます。⦅オブジェの状態⦆は、オブジェ自体よりも興味深いのです。⦅オブジェ⦆の状態は時間が経過した結果で、私はそれを《時間の物質化》と呼んでいます。

色についても同様で、⦅色の状態⦆は色そのもよりも興味深いのです。純粋な青色を塗る時、私はその青色を別の状態にします。状態を移行するということは、青色を純粋な状態に保持するよりも面白いと思います。ある色の外観を同じ色で別の外観に転移させることは私の基本的な作業です。その転移の結果、時間の概念が私の絵の中で表れ始めるのです

私は建物が古いメディナ地区に住んでいたことがありますが、カビがいたるところに生えていました。しかしそれは私にインスピレーションを与えてくれました。オブジェは取り除き、外観をメインにしたのです。このように私は、現実の事物より、むしろ時間が経過した外観の絵を描くようになったのです。

ユシャール:あなたは、アフリカの伝統美術における《リズム》について述べました。このリズムはあなたの作品の中でどのように表現されていますか?

ディバ:リズムには2つの面があります。私は1983年から枯れた小枝を拾い集め、作品に使用し、その配置を調整しながらリズムを獲得することができました。このリズムは動作の繰り返し、構成要素の繰り返しです。それはリズムの古典的な概念です。
しかしながら、私は研究の中で、人物の《姿勢》に別のリズムがあることに気がつきました。
マスクや彫像について話しをしましたが、マスクや彫像の構造を故意に変更する考えは、彫像とダンサーの表現を比較していた時に湧いてきました。

アフリカのダンサーは自分の体を意図的に自己破壊に追い込みます。体を破壊する時、体は炸裂します。彫像を変形する彫刻家の意志と、ダンサーが表現を変えることが完全に合致する瞬間があります。

アフリカのダンスはリズムを表現していて、その連続動作の中で誇張されてゆくのです

ユシャール:あなたは、「造形美術言語から政治色を払拭することに努めた」と言っていました。それはどういう意味ですか?

ディバ:政治言語はごますりの言語で、人にちやほやする言語です。私は材料に媚びるのは大嫌いです。むしろ、それを痛めつけ、切り裂きます。材料と私の間の衝突、戦いに到達するためには、絵画を美化する言語を克服しなければならないのです。

私が作業をしているところを見たら、私がイーゼルを使っていないことに気がつくでしょう。私は地べたで作業をしています。なぜならば、ここの地面の硬さ、抵抗を感じたいからです。そして、それは、制作という闘いに活力を与えてくれるからです。私の画材は同時に素材です。私はそれを愛撫するのではなく、傷つけ、破壊し、自問し、対話をしたいのです。

ユシャール:セネガルでは造形美術は、いくつかのスタイルがあり、いくつかの潮流があります。あなたは、これらの潮流とは独立しているのですか?

ディバ:私は、自分が行っている事に常に独創性を探します。私にとって絵画は遊びです。時として、私は画家として見られることを避けます。私は画家ではありません。造形美術家であり研究者です。研究者とは、すべてに問題意識を持つエネルギッシュな人間のことです。

何よりも自分の道を行くという人がいる一方、他の人と簡単に譲歩し、時流に乗ったアーティストの成功に影響されてしまう人がいます。

私にとって、創造することは個性の肯定です。自分自身に確かでなければなりません。研究者は自分が行っていることに確かでなければなりません。

ユシャール:そのような事を世界に向って表現すること、示すこと、叫ぶ勇気をもつこと….

ディバ:私は、創造に関する基礎的な研究を行っています。興味があるのは、素材と色を手に入れ、そしてそれらの居場所を決めてやることです。時流に身を置くことはしません。私はすべての状況において個性を肯定します。

ユシャール:あなたにとって創造することは政治的参加ですか、それとも政治的闘争ですか?

ディバ:絵画は常に政治的闘争でした。私たちの歴史を見ると、アーティストは社会的に重要な役目を果たしてきました。この社会的役目は政治的な意志を表現することでした。政治というのは、ある問題に関与するという動きだけではなく、直近または遠い未来に対する懸念です。

私たちには感受性というものがあって、他の人には見ることができない物を発見し、観察することができるのです。

ユシャール:ヴィエ・ディバの作品は今後どこに向かうのでしょうか?

ディバ:私は、私の芸術と共に普遍的なコミュニケーションを目指します。すでに述べたように、私にはセネガルの問題も、アフリカの問題もありません。コンプレックスもないし、何も弁明することはありません。私は時間と空間に属するただの人間で、世界とコミュニケーションを取りたいのです。そしてできるだけ、ぶれない人間でいたいと思うのです。

ユシャール:1992年12月、造形美術に特化した国際ビエンナーレがダカールで開催されました。あなたはこの催しものから何を得ましたか?

ディバ:まず、思いだして欲しいのは、ビエンナーレは私たちセネガル造形芸術家協会(ANAPS)のアイデアでした。この協会は、参加国をセネガルだけに限定せず、世界各地のアーティストたちと競い合う芸術祭を計画し、それを当時のアブドゥ・デュフ大統領に進言したのです。

結果は満足のゆくものでした。ビエンナーレは他のアーティストたちがやっていることを観察し、参考にする最高の機会となりました。

《参考文献・Webサイト》

・『vié diba』Sépia-Neas

・『Seyni Gadiaga, Professeur d’Education Artistique, et Artiste platicien』Le Témoin 19-25/10/1999

・『A la recherche de Anta Germaine Gaye』SEN. Tract 06/09/2021

・『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗幸平 岩波ブックレットNo.142

・『Manufactures Sénégalaises des Arts Décoratifs depuis 1966』

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