セネガルの現代美術 5/5 ガラス絵

《アフリカ古美術商》

ムルタラ・ジョップ Mourtala Diop

『Emblèmes du pouvoir』より転載

1965年、16歳の時、男はリュックサックにアフリカの仮面と彫像数個を入れ、父親と二人で船でマルセイユ向かった。ラスパルマスーカサブランカを経由して7日後にマルセイユに着いた。一泊7フランの安宿に泊まり、父親と一緒に仮面と彫像を売った。6ケ後、父親は男を残してセネガルに帰って行った。1人になった男は、市場でバナバナ(物売り)をしながら1年間を過ごした。稼いだお金はほとんどすべてを毎週セネガルに送金した。フランス語を書けなかったので、郵便局に行った時は、その辺の人に頼んで郵便為替依頼書を書いてもらった。

その後リヨンに6ケ月滞在し、そしてパリに行った。父が時々アフリカの仮面や彫像を持って来て、それらを売って帰っていった。男自身がセネガルに帰る金はなかった。

パリに5年間住んだ後、父親が「ニューヨークに行く」という話をしたので、「自分の方が若いから自分が行く」と言って、英語を全くしゃべれないにもかかわらず、スーツケース1つでニューヨークに渡った。

セネガルから持って来たアフリカの仮面と彫像を、ニューヨークの美術館に売り込んだが、すべて断られた。翌日から、店を1軒1軒回って、バナバナ(物売り)をしたが全く売れなかった。ニューヨークをあきらめロサンジェルスに行くことにした。ここでは仮面や彫像が売れた。ナイジェリアの先住民族オゴニー族の仮面が約135万円で売れた。セネガルで買った50万FCFAの⦅ナイーフ派(素朴派)⦆の絵は、450万円になった。儲けたお金の半分を自分の手元に残し、半分をアフリカでの買い付けの費用とした。(セネガルに帰国する際、高額な化粧品を持ち帰って販売した。この商売も大成功し、化粧品の販売は今も続いている。)

こうして、ニューヨークとカリフォルニア間を往復しながら、男は巨万の富を築いていった。

男の名は、ムルタラ・ジョップ。

本名アブドライ・マクタール・ジョップAbdoulaye Makhtar Dop。

ムーリド教団の総本山トゥーバのコーラン学校で、教団の創始者シェイク・ンバケChiekh M’Backéの末っ子のスリンニュ・モルタルダ・ムルタラ Serigne Mortarda Mourtalaと4年間一緒に学んだ。

ムルタラという名前は、スリンニュ・モルタルダ・ムルタラの名前から採った。

肩書は、アフリカ古美術商、美術品コレクター、メセナ(文化・芸術支援者)、そしてアーテイストでもある。大統領の政府専用機で移動できるほど大統領から信頼・期待されている。

イスラム教ムーリド教団の敬虔な信者でもある。

父には4人の妻がいて、子供はムルタラを含め全部で5人。ダカールのケルメル市場で外国人向けの土産物屋を営んでいた。

4歳の時にタリべ(コーランを学ぶ学生)としてトゥーバに行った。10歳の時、死にそうになったので、マラブー(イスラム教の導師)に頼み、親元に返してもらった。

アメリカでの商売は順調に進んでいた。ニューヨークで、アフリカのアンティック美術品を西洋の現代絵画と交換することに成功した。彼にとって最初の物々交換だった。1980年以降は、彼の買い付けは基本的に⦅物々交換⦆となった。アフリカの古美術は売ることをせず、西洋絵画と交換した。

当時約6000万円した1936年製のブガッティの車と4つの彫刻と交換した。絵画1枚とアフリカの伝統工具と交換した。こうして彼は多くの美術品を収集していった。

コレクションは、アフリカの高額な古い美術品200点の他、ピカソ、ドゥビュフェ、セザール、アンディ・ウォーホルの作品などがある。また、セネガルのアーティストのイブラヒマ・ケべ、ババカール・セディキ・トラオレ、スレマン・ケイタ、ウスマン・ソウなどの作品も購入した。セネガルのアーティストの場合、一部をお金で支払い、残りを画材で支払う方法をとっているが、彼らはその方法で満足しているという。

ニューヨークにアフリカ彫刻のギャラリーをオープンし、ダカールには、“トゥーバ・ンバケTouba M’Backé ‘’ という名のアフリカ古美術店を開いた。

海岸通りのアルマディ地区に2500万FCFA(約500万円)の住宅を購入した。彼がまだ25歳の時だった。その後、長年住み慣れたニューヨークを離れ、セネガルに移り住んだ。

1993年、ダカールのIFAN美術館で彼のコレクション展が開催された。オープニング・セレモニーの日、彼が敬愛するスリンニュ・モルタルダ・ムルタラが黒塗りのキャデラックで美術館に乗り込み、展示会の成功を祈った。

彼のムーリド教団への忠誠は厚く、「私はムーリド教団のために生きています。⦅富⦆には執着していません」と述べている。

「⦅富⦆とはお金のことではありません。⦅富⦆とは純粋で誠実な心のことです。貧乏でも億万長者になることはできます。10フランをもらって、頭の中では億万長者になれるのです。心が人の⦅富⦆をつくるのです」

2002年以降、彼は、グッチやヴェルサーチやアルマーニやケンゾーなどのブランドものの服やネクタイを封印した。

「かつて私は有名オート・クチュールの服を着ていましたが、それらをすべて整理し、タリべ(コーランを学ぶ学生)になりました。4歳の時タリべになりコーランを学んでいました。一般的なフランス語教育の学校には行きませんでした。その時は、スリンニュ・トゥーバとイスラム教のために生きていました。何ヶ月もお風呂に入らず、物乞いをしていました。それ故に、今、私には難しいことは何もありません」

2010年12月28日、彼はプティト・コート地区にあるリゾート地サリーに、ケルコム美術館Musée Khelcom をオープンした。彼は、常々「私が所有する文化遺産をセネガル国民と共有したい」と言っていたが、美術館は彼の有言実行の結果だった。

総面積8.200m2(東京ドームの約1/6)の美術館には、彼が収集した、西洋絵画、アフリカ各地の仮面・彫像および現代美術の作品約300点が展示されている。

ケルコム美術館

この美術館には本ブログ「セネガルの現代美術 1/5」で紹介した、セニ・カマラの作品も展示されている。

ムルタラ・ジョップがヴェネツィア・ビエンナーレに招待された時、何人かのイタリア人から、「カザマンス地方から離れたくない女性陶芸家、セニ・カマラ」を教えてもらった。

彼はセネガルに帰国すると直ちにカザマンス地方に行き彼女に会った。それ以来、彼は彼女に会うために何度もカザマンスを訪れているという。

ムルタラ・ジョップの座右の言葉:

You have to believe in yourself」(自分を信じなさい)

『エダンの夫婦』ナイジェリア オボニ族
(「Emblèmes du pouvoir」より転載)

『仮面・兜』ナイジェリア イボ族
(「Emblèmes du pouvoir」より転載)

《参考文献・Webサイト》

・『Peinture sous verre du Sénégal』Michel Renaudeau et Michèle Strobel (Nathan/NEA)

・『夜行旅・昇天行の英知』2010年7月9日レプブリカ紙 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 ISEA 訳  

・『セネガルの現代造形美術-状況と展望』アブドゥ・シィラ (インサイド・ストーリー同時代のアフリカ美術』展カタログ 美術館連絡協議会)

・『ガラス絵の裏側:アフリカ地域 テーマ展示『セネガルの街角』から』三島禎子  月刊みんぱく 2003年8月号 10-12

・『Interview Mor GUEYE』Le Baobab  Octo-Nov 89 No. 4

・『Emblème du pouvoir』Collection Mourtala Diop 

・『Mourtala Diop Voyageur de l’Art』Documentaire de Laurence ATTALI

・『Découverte Musée Khelcom de Saly 』 Enquête + 30/09/2017

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