伝統楽器

ドゥードゥー・ンジャイ・クンバ・ローズ Doudou N’diaye Coumba Rose

ドゥードゥー・ンジャイ・クンバ・ローズ

本名、ママドゥ・ンジャイ Mamadou N’diaye。ローズは、母親の名前。

サバールを大衆に広めた、サバールのレジェンド。

《太鼓の参謀》《太鼓のマジシャン》《太鼓の神様》と呼ばれている。

やせていて小柄。その体つきから想像もつかない圧倒的なステージパフォーマンスを見せる。

太鼓オーケストラの中心で、全身を使いゴロンンババスにバチを叩きつけるように演奏する。舞台上を精力的に走り回り、奏者を叱咤激励する。全体をまとめ頂点に向けて導いていく姿は指揮官そのものである。

4人の妻がいて、《少なくとも》15人の息子、15人の娘がいる。(最終的に合計42人の子供がいたらしい)
あまりにも奥さんと子供が多すぎて、未だに著作権の相続が始まっていないらしい。

1930728、ダカールの下町メディナで13世紀から続くグリオの家系に生まれる。

7歳ですでに太鼓に夢中になるが、会計士の父は彼がミュージシャンになることを認めなかった。

しかしながら、子供時代に聞いた、結婚式、命名式、割礼式に演奏された打楽器の音が、彼のその後の人生を決定づけた。

ティノ・ロッシが好きで、1950年代の彼の映画をすべて観た。その映画の中で、ティノ・ロッシが50人のバイオリン奏者とビオラ奏者をバックに歌う姿を見て、感銘を受け、彼のように、将来、大人数の演奏者と共に演奏することを夢みていた。

ダカールの公共事業局に雇われ、配管工として西アフリカ総督府に配属された。この時期、当時セネガル有数の打楽器奏者だった、マダ・セックMada Seckと出会い、同氏のグループに加入した。

ドゥードゥーは、100以上の異なるリズムを習得したていたので、古老の太鼓奏者からは《太鼓の参謀》と呼ばれていた。

マダ・セックがコートジボワールに発つ際に、ドゥ―ドゥ―は、楽器とグループを引き継ぐように言われた。

ドゥードゥーの父も、次第に彼の太鼓奏者としての天性を認めざるを得なくなった。

生涯で100以上の新しいリズムをつくり、新しい太鼓もつくった。

ドゥ―ドゥ―は、100人の太鼓奏者が同時に数種類のリズムを叩くオーケストラを指揮する事ができる。

ダンスパーティーの際、ドゥードゥーとその仲間たちは、まず、新しいリズム(バック・ブ・ベエスBàkk bu bees)を演奏し、その後、古いリズム(バック・チョサンBàkk cosaan)に移行する。数台の太鼓を同時に演奏すると、複雑なポリリズムが生まれ、女性たちのダンスがより魅惑的でエネルギッシュになってゆくという。

しばしば、⦅リズムの数学者⦆とも呼ばれ、自らの子供や孫などで編成された太鼓のオーケストラを指揮して、伝統的なビートの複雑なメドレーを演奏した。

1959、ダカールに公演に来たアフリカ系米国人歌手のジョセフィン・ベイカーに、「あなたは将来偉大な太鼓奏者になる」と言われた。

196044、ダカールの競技場で行われたセネガルの独立記念日に、110人の太鼓奏者を率いて、サンゴール大統領の前で演奏した。

その後、アフリカ各地を巡り、その土地のお年寄りと伝統的リズムについ話し合い、その知識を学び、吸収した。

ダカールの国立芸術学院で太鼓を教える傍ら、国立バレー学校の太鼓オーケストラのリーダーとして活躍し、バレエ振付家、モーリス・ベジャールと出会う。

詩人でセネガルの初代大統領だった、レオポール・セダール・サンゴールの詩の朗読会で、コラ奏者のママドゥ・クヤテMamadou Kouyatéと共に伴奏を行った。この時、太鼓の異なった音色をつくり出すため、3個の太鼓、《ランブLamb》、《ンジンNjiin》《サバール・ンデールSabar Ndeer》を演奏した。

1986、フランスのナンシーで開かれたジャズ・フェスティバルに、50人の太鼓奏者オーケストラを率いて参加。国際的な名声を得る。

1988、マーティン・スコセッシ監督の映画『キリスト最後の試み』の音楽を担当した、ピーター・ガブリエルに呼ばれ、太鼓奏者して映画に参加する。

1991、ピーター、・ガブリエルのプロデュースで、奴隷の島、ゴレ島で録音されたCD『ジャボトゥDjabote』を制作する。

トランぺッター奏者のディジー・ガレスピーやマイルス・デイビス、そしてザ・ローリング・ストーンズ、ピーター・ガブルエルらと共演。

2000、セネガルの映画監督、ジョゼフ・ガイ・ラマカの映画『カルメン・ゲイ』(プロスペール・メリメ原作)に、サバール奏者役として出演した。(筆者の好きなヤンデ・コドゥ・セーヌYandé Codou Sèneも、この映画のラストシーンで歌を歌っている)

日本の太鼓芸能集団「鼓動」と共演。

ウォロフ族の伝統では、男だけが太鼓を演奏できるが、ドゥ―ドゥ―・ンジャイ・ローズはそのタブーを破り、 セネガルで初めて、女性だけの太鼓奏者グループ《レ・ロゼットLes Rosettes》を結成した。

2004の14度目の日本ツアーの際、ドゥードゥー・ンジャイ・ローズは《フラン・パルレ》のインタビューに答え、この女性太鼓グループの結成のいきさつを語っている:

フラン・パルレ:今回のツアーは何人のミュージシャンで構成されていますか?

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:18人です。そのつど要望によって変わります。最近、アメリカツアーをやりましたが、そのときは35人でした。時には、50人、150人、200人でやってほしいと言われることがあります。昔、ダカールの優秀な打楽器奏者のオーディションをしました。大人数での演奏を要求されますから。彼らの連絡先を聞き、私たちの家族のメンバーに入れました。家族だけで100人もの奏者はいませんからね。必要なときに来てもらいます。

フラン・パルレ:200人ものミュージシャンをどのように識別するのですか?

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:ヘンな音が聞こえれば、すぐに私は誰が間違えたのか分かります。問題ありません。背を向けていたって分かりますよ。誰かが間違えたら後ろを向き、その人を見ます。すると、間違えた人は、「はい。私です」という具合に。

フラン・パルレ:オーケストラの一部分はあなたの家族ですよね。

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:はい。大部分がそうです。4人の娘婿を除いて、あとはみな私と血のつながった娘、息子たちです。

フラン・パルレ:インターネット上では、あなたに150人もの子供たちがいるという伝説が流れていますが。

ドゥドゥ・ンジャエイ・ローズ:(笑って)いいえ。それはいくらなんでもキツイですよ。43人子供がいましたが、2年前にイタリアで一人子供を亡くしてしまいました。42人の子供たちには、何事も起きてほしくないです。

フラン・パルレ:女性が男性同様、太鼓を演奏することはよくあることですか。

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:昔はありませんでした。1995年に私が思い切って、女性打楽器奏者をつくりました。セネガルだけでなく、アフリカ全土でそんなことを考えた人はいませんでした。なぜなら、アフリカでは女性は家にいて子供の世話をし、料理を作って洗濯をし、農作業をする男性に食事を運ぶものだと誰もが思っているからです。

しかし86年ごろ、当時のサンゴール大統領がつくったお祭りがあります。毎年、セネガル中の地域で、2週間にわたって女性たちが自分の仕事をやって見せるというお祭りです。例えば、洋服の仕立て屋、染物職人、美容師など。様々な仕事をもつ女性が、自分たちが何ができるかを披露したのです。セネガルのあちらこちらで催されました。

そこで私は、女性の太鼓奏者がいたっていいじゃないかと思ったのです。娘たちを呼び、こう言いました。「昨日、女の太鼓奏者をつくることに決めた。さあ、練習するぞ」と。第一夫人と第二夫人の長女と他の二人は「パパ、そんなこと出来るわけないじゃない。パパは若いときに太鼓を習ったからいいけれど、私たちにはもう子供だっているし、出来っこないわよ」と言いました。私は「不可能なものなんて何もない。やってみなさい」と言いました。4人の娘たちは朝10時から12時まで練習に来ました。次の日、私たちが練習をしていると、他の娘たちは彼女たちが何やらやり始めたことを理解したようです。3日目、6人の娘たちがやってきて、10人に増えました。そうしているうちに家族全員が集まり、またグリオの階級でない近所の女性たちもやってきました。面白そうだと思ったからでしょうね。

2ヶ月の間練習し、30分間のコンサートをやる準備をしました。そして私はセネガル国営テレビのディレクターに会いに行き、番組を設けて欲しいと頼みました。しかし、彼は「でもね、ドゥドゥ。タムタム(アフリカの太鼓)を叩く女性なんてアフリカには存在しないよ」と言いました。

私は「昔はいなかったけれど、今はいるんだよ」と言いました。彼は練習を見にきて、すぐにOKを出してくれました。月曜日、彼は私を呼び、衣装代と髪を編んでキレイにするようにとお金をくれました。そして一週間コマーシャルを流し、番組がある土曜日を迎えました。誰もが小さな画面に釘付けになりました。30分間、彼女たちは腰の周りにタムタムをつけ、歌って踊って演奏しました。みんな喜んで、私のことを賞賛してくれましたよ。

フラン・パルレ:あなたが使う太鼓は何ですか?

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:ここにある太鼓はみな、セネガル特有の太鼓で他のどこの国にもありません。ただ、ジャンベだけはギニアやマリ、ブルキナファソ、コートジボワールにもあります。サバールとゴロンや他のものは、セネガル特有のものです。アフリカの他の国で見かけたら、それは誰かがセネガルから持って行ったものでしょう。私は全ての太鼓を演奏しますが、指揮をとるにはサバールとゴロンを使います。サバールは、ダンスと歌を指揮するためと、遠くにメッセージを送るための太鼓です

フラン・パルレ:日常生活の中で今でも太鼓でメッセージを送ることがあるのですか?

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:アフリカ、特にセネガルでは電話やラジオやテレビがないときに太鼓でコミュニケーションをとり、誰もがパーカッションの言葉を分かっていました。人が亡くなったとき、葬式、結婚式、洗礼式、刺青、割礼の意味をみんなが分かっていました。また、いなごの大群の発生や、潅木地帯の火事を伝える言葉までもです。都市部ではもうこの習慣はありませんが、地方に行けばまだ存在しているところもあります。

フラン・パルレ:他の国のグループとも競演をしているようですね。

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:ジャズはアフリカで生まれました。セネガルにやってくるジャズマンや、私がツアー中に会う彼らは、一緒に演奏してほしいと言ってきます。アフリカと西欧のカルチャーを私がよく理解していると思っているからでしょう。パリでマイルス・デーヴィスの前座で演奏したり、ローリング・ストーンズとのアメリカやイギリスでの公演が実現したのはそのためです。ここで、競演したことのあるアーティストの名前を全部挙げることはできませんが。

フラン・パルレ:フランスのブルターニュのグループとも競演しましたね。

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:はい。ポワティエに住んでいる私のマネージャーはブルターニュの人です。ある日、電話をかけてきて、「ドゥドゥ、とても気に入っているグループがいるんだよ。あなたが一緒にやれば、成功間違いないよ」と。私は、「人を有名にするサービスはしたくないよ。ウィという前に、彼らのデモテープを聞かせてくれ」と言いました。ブルターニュ地方のオーボエの音が入った彼らのカセットを私は大変気に入りました。それは、セネガルの伝統的なメロディーと共通性があり、私たちのカルチャーによく似ていると思いました。すぐに私はOKの返事をし、ブルターニュに行って2日間練習しました。そしてツアーをしてCDも作りました。他でもやってほしいという要望がたくさんありましたよ。現在、ダカールのフランス文化会館長と他の国の文化会館長との間でアフリカツアーをすることを計画中です。

フラン・パルレ:太鼓を教えてもいますよね?

ドゥドゥ・ンジャイ・ローズ:自宅や、セネガルの国立劇場で教えていますが、学校を作りたいと思っています。日本の団体にそのプロジェクトの支援をしてもらいたいと思っています。出来るかぎりのことをし、書類もきちんとしたものに出来上がりました。もしも神様が味方についてくれるなら、いつかふさわしい場所を手に入れることができるでしょう。そしてそこに日本や韓国、アフリカ、カリブの国々、世界中のカルチャーを一堂に集結させることが、私の夢です。

2004年10月 インタヴュー:エリック・プリュウ 翻訳:三枝 亜希子』

2006、ドゥ―ドゥ―は、ユネスコの「無形文化財」に認定された。

ダカールに、パーカッション学校を創設。

2015819、突然、気分が悪くなりダカールのルダンテック病院に搬送されたが、そのまま息をひきとる。ヨフ地区にあるイスラム教徒墓地に埋葬された。85歳。

ドゥードゥー・ンジャイ・ローズの言葉 :

「太鼓を叩いていると、何者かが踊りだすのが見えることがあります。普段は見えないものが」

「演奏に熱中してくると、叩いているのが、このドゥードゥー自身ではなくなってきます。私と他の何物かがひとつの太鼓を一緒に演奏しているのです。それは精霊にちがいない、と私は思っています。なぜなら、太鼓は精霊が作った楽器だからです」

「私は太鼓を好き勝手に演奏したいと思ったことは一度もありません。昔の人が知っていた太鼓の言葉(Langage)を教えてもらうために、私はセネガル中のお年寄りの太鼓奏者に会いに行きました。そこで、《山火事》をどのように伝えるか?《毒ヘビが人に噛みついた。そのヘビの種類》をどのように伝えるか?《花嫁は花婿の家に到着した》はどのように伝えるか?《花婿は花嫁に満足している》はどのように伝えるか?を学びました」

「良い演奏者になるためには、《太鼓の言葉》を理解しなくてはならない。太鼓をたたくことは、文化を担うこと。伝統的な音の中に言葉を聞き、意味を知ることがなによりも重要になる」

「『太鼓をやめたい』と思ったことは一度もない。神様が私に太鼓を演奏するチャンスを与えてくれたからだ。それをいらないと返すわけにいかない…」

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