ヒーヌ Xiin Base

セレール族の太鼓で、サルーム王国のンべガンヌ・ンドゥール国王(1493-1513)の時代に作られた。製作者は、パルー・ンバジュ・ンジャイで、サバールの名手ドゥドゥ・ンジャイ・クンバ・ローズの祖先の1人である。
結婚式、葬式、収穫祭、相撲の試合などでも演奏された。
現在は、ムリッド教団の一派のバイ・ファルBayefallが、神、預言者モハメット、マラブー(導師)を称賛する歌が歌われる宗教行事の際、ヒーヌを演奏する。
(注:バイ・ファルは、ムリッド教団の創始者、シェイク・アハマドゥ・バンバCheik Ahmadou Bambaの一番弟子だった、シェイク・イブラヒマ・ファルCheik Ibrahima Fall (通称、シェイク・イブラ・ファル、または、ランプ・ファルLamp Fall)が創設したスーフィー教団)
胴体はディンブの木でできていて、鼓面の皮はヤギの皮が用いられている。
木こりで木工職人のラオベの集団によって製作される。
音色は、中音でサバールのンブン・ンブンの音色に似ている。
ばちは、スンプの木やタマリンドの木が用いられる。
上記で説明した「ンバラ」が生まれた1970年代に、「ヒーヌ」というリズムも生まれた。このリズムは、1980年代に、シェイク・ンディグル・ローCheik 《Ndigël》 Lôの音楽と融合し、国際舞台に躍り出た。
タバラ Tabala

胴体には、堅いマホガニーの木が用いられるが、タバラ1個を制作するのに、約6mの幹を必要とする。
鼓面には雄牛の皮が用いられている。村長用の太鼓には、牝牛の皮が使われる。
タバラは、かつて、イスラム教の勝利を祈って、ジハード(聖戦)のために作られた。
イスラム教徒が勝利すると、その勝利を伝えるために、イスラムの旗を掲げ、タバラを打ち鳴らしたという。
また、葬式の際には、老人の死亡の場合はタバラを9回叩き、女性の死亡の場合は6回叩いていた。
モーリタニアのニムザットNimzatには、毎年、セネガル最古のイスラム教団、カディリーヤ教団の信者たちが巡礼に訪れる。そこで行われる追悼集会や詠唱では、砂漠の民モール人によってタバラが演奏される。
(注:「カディリーヤ教団」の名前は、12世紀にバグダッドで教団を創始した、「アブドゥルカディール・ジーラーニ」に由来している)
昔は、タバラ1台に対し、雄牛1頭と交換していた。雄牛はすぐに屠殺され、村人たちに肉が分け与えられた。
タバラを叩くことができたのは、村長の息子、村長の護衛隊、ラウベの人たちに限られていたが、現在は、女性も叩くことができるようになった。
探検家のマンゴ・パーク(1771~1806は、旅行記『マンゴ・パークのアフリカの旅』の中で、タバラについて記述している:
「夜になってタバラという大太鼓が打ち鳴らされ、近くのテントの1つで結婚式があることが知らされた。多くの男女が集まったが、ここには黒人の結婚式にみられる陽気な騒ぎはなかった。歌も踊りもなく、その他の楽しい催し物もみられなかった。一人の女が太鼓を打ち、他の女たちがコーラスのように、ときに鋭い叫び声を上げて太鼓の音に加わり、同時に彼らは舌を素早く口の端から端へ動かした。」
ブーガラブー Bougarabou

左:ブーガラブー ソロ
中央:ブーガラブー トニック
右:ブーガラブー ベース
セネガル南部カザマンス地方のジョラ族が、宗教儀式や村の行事で演奏する太鼓。
音は、数kmまで届くと言われている。
高さ45~65cm、直径25~30cm。ヤギ、牛、羊、鹿の皮が使われる。
太鼓は、若干鈍い音だが、高音の太鼓、中音の太鼓、低音の太鼓で構成されている。
演奏者は手首に鈴をつけ、太鼓を手で叩く。鈴の音は太鼓の音色を響かせ、美しくする。
かつては、1人で1つの太鼓を、1本の棒と片方の手で演奏していたが、1940年頃から、3つの太鼓を1人で演奏し始め、魅惑的なポリリズムを創り出した。
また、ジェンべやタマなど他の楽器とも共演し、多彩なハーモニーを生み出している。
演奏者の叩き方によって、深い音、鋭い音、跳ねる音などを出すことができる。
ジョラ族のお祭りでは、聖なる森のダンス「サフル―バSahourouba」の伴奏を行う。
保存する際は、直射日光や高温の場所を避けなければならない。過度に乾燥しないように、必要に応じて、水を噴霧する。
湿度が35~55%であれば、太鼓は最適な音色を出すことができるが、湿度が高い場合は、太鼓に若干の熱を与えたり、15分ほど日光に当てたりする。
一方、冬のように空気が乾燥している場合は、太鼓に響きが無くなるので、演奏前に、少量の水を5分間噴霧する。
鼓面の皮の保存は、季節の変わり目に、コットンを用いて、ココナッツオイルや鉱物オイルやクマの脂を塗り込む。
セネガルのバンド、ハラムXalamのムスタファ・シセ・アカ・タファ・シセはブーガラブーの第一人者として知られている。

コメントを残す