カリンバ Kalinba

上面に並べられた鉄製のキー(細い金属片)を親指で弾く楽器。
フランスの植民地時代は、「親指ピアノPiano à pouces」あるいは「フィンガーピアノPiano à Doigts」と呼ばれていた。
「カリンバ」はタンザニアでの名称。
「サンザ」は中央アフリカでの名称。
「ムビラ」はジンバブエでの名称。
「ハンドオルゴール」とも呼ばれ、奴隷貿易の時代には中央アメリカにまで広がり、181世紀にオルゴールがスイスで初めて製作されたさいに、ヒントになった楽器と言われている。
音色は、ピアノというより、ハープに近い。
セネガルのジャズ・グループ「ナコジェ」でカリンバを演奏しているガビイ・バが作っているカリンバは、ひょうたんで出来ている。音の響きがとてもすばらしい。
筆者のカリンバの先生の演奏を聴いてください。
《カリンバの歴史》
今から3000年前、キー(鍵盤)に小さな竹の棒を付けた楽器が、西アフリカのカメルーンで発見された。続いて1300年前の《鉄器時代》に、竹の棒の代わりに鉄製の細い薄板のキーを取り付けた楽器が、ザンベジ川流域の渓谷で発見された。これは、アフリカのジンバブエに住む、ショナ族古来の民族楽器で、《ムビラMbira》と呼ばれている。
ショナ族は太古の昔からムビラを演奏して先祖たちの魂や自然、精霊などに祈りを捧げてきた。祭礼や儀式の時に先祖の霊や聖霊と交信し、彼らの助言を聞くために演奏された神聖な役割を持つ楽器であった。
1586年、ポルトガル人探検家、ホアン・ドス・サントスJoão Dos Santosは、モザンビークを旅行した際、『表面が鉄で9枚の金属板を付けた楽器』を見つけ、「アンビラAmbira」と名付けた。
彼によると、演奏者の親指の爪は楽器を演奏するために長くのびていて、演奏された曲は、『やさしく、純粋な音のハーモニー』だったと言う。
1800年代末から1900年代初頭の奴隷時代において、コンゴ出身の奴隷たちは、植民地支配者のベルギー人たちの荷物運び屋としてアフリカを連れ回された。その際、奴隷たちは、訪れた場所の人々の前でムビラを演奏した。
親指ピアノがアフリカに広まると、アフリカの各部族はキーの金属板の枚数やボードの木の種類を変えるなど、楽器の構造に変更を加え、特別なムビラを作った。
そのため、ムビラは各部族特有の調律が行われ、部族独特の旋律が生まれた。そして、次第に、その土地土地により、形状や演奏スタイル、名称が変わっていった。
植民地時代には、鉄を製造することを禁止されため、釘や自転車のスポークなど、お金のかからない他の金属片をキーに取り付けた。
1920年、英国人のヒューグ・トレイシーHugh Traceyは、兄がタバコ畑を経営している南ローデシア(現ジンバブエ)に行った。そこで働いていた時、彼は現地の黒人労働者が歌っている歌を聴き、彼らの歌の中に精神的共通点を感じとった。彼は、それらの歌を覚えるのと同時に、他のアフリカの音楽や楽器に興味を持ち、ムビラを習い始めた。ムビラは彼にとってまさに魔法の楽器だった。ムビラを演奏することは彼の人生に深い影響を与えた。
アフリカ中を巡り、ムビラの音楽を録音し、楽器を収集した。
こうした活動の中で、彼は、ローデシアに住む白人がムビラおよびその音楽に何も関心が無いことに驚いた。
当時、宣教師たちによってもたらされた西洋の宗教音楽や賛美歌や、ラジオから流れる西洋の音楽は、アフリカの伝統的音階や旋律を消滅させようとしていた。
こうした中で、ヒューグ・トレイシーは、ムビラを自ら製作し、ヨーロッパの人々が発音しやすく、覚えやすい名前《カリンバKalimba》を商品名にした。因みに、「カリンバ」とは、タンザニアでバントゥー族が独自で作っていたムビラのことで、「小さな音楽」と言う意味である。
ヒューグ・トレイシーは、共鳴箱の木材、キーの金属板の材料、金軸版の取り付け方法、音階などを変えて試作品を作り、その数は100個以上になった。
1950年、AMI (African Musical Instruments)を設立し、西洋音階に改良したカリンバを外国に輸出し始め、1960年代に、アメリカのおもちゃ会社が商品化した。
ヒューグ・トレイシーの息子のポールやアンドリューは、1962年~1968年の期間、カリンバ演奏のツアーを行った。ヒューグ・トレイシー自身もツアーを行い、同時に、アフリカ音楽とカリンバに関する講演を行った。
1970年代に、ファンクミュージック・バンドのリーダー、モーリス・ホワイトが、自分たちの曲の演奏にカリンバを取り入れたことから、カリンバは爆発的に世界中に広まった。
このようにして商品名だったカリンバが、そのまま全世界で通称として知られることとなった。
バントゥー族の神話には次のような話がある(筆者訳):
「神様は、カリンバを奏でながら鉱物、植物、動物をお創りになりました。すべての生き物は完璧に調和して共存していました。ある日、神様がカリンバを奏でようとすると、カリンバがちゃんと調律されていなかったため、調子はずれの音が出てしまい、人間が生まれました。人間は繁殖しながら、人間の根源となる不調和を引継ぎました。それ故に、私たちはこの苦難の世界で調和の精神を取り戻さなければならないのです。そのためには、カリンバが私たちを助けてくれます」


コンゴマ Kongoma またはゴンゴマGongoma

主に、ギニア、セネガル、ガンビアで演奏されている。
ギニアではゴンゴマと呼ばれている。
共鳴箱の上に金属用⦅弓のこの刃⦆(hacksaw blade)が4枚ついている。
共鳴箱を叩きながら、この⦅弓のこの刃⦆を弾く。
単純な構造の楽器から流れてくる素朴な音がアフリカらしい
ダカールのMetissakana地区の繁華街の裏に仕立屋が集まっている路地裏の家に、マホMakhoが住んでいて、筆者はそこでコンゴマの練習をした。
現地で録音したコンゴマの演奏を聴いてください。

マホは、ロックグループ、⦅ユラユラ・バンド⦆のリーダーでもある。


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