《歴代のミス・ジョンゴマ》
ミス・ジョンゴマ・コンテストは、1992年に始まったが、数年後に中断し、1997年に再開された。その後、コンテストに反対する宗教団体の圧力を受け、10年間ほど中断し、2012年に再開を果たした。
1992年度のミス・ジョンゴマ
ンデラ・チャウ Ndella Thaiw
当時「妖精」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だった。
1978年にミス・チェスにも選ばれている。
ダカールの専門店で材料を買って、ビンビンやジャルジャリを作るのが趣味。
敬虔なイスラム教徒。
独身。
1993年度のミス・ジョンゴマ
ファトゥマタ・ジャウ Fatoumata Diaw
ロースト・チキンとチェブジュンが好き
本業は町のバナバナ(物売り)。
離婚後、独身。
1994年度のミス・ジョンゴマ
セイナブ・リ- Seynabou Ly
雑誌「Télé Mag」の営業担当。
ジョンゴマ独特の豊満さはなく、《普通の女性》と評された。
彼女にとってジョンゴマ・コンテストは「遊び」で参加したと言う。
趣味は読書。エルトン・ジョン、ケニーG、ババ・マールのファン。
柔道と空手を行う。
娘2人を育てるシングル・マザー。26歳(当時)。
身長180cm B 99cm W 77cm H 160cm
(1995年~1997年の間、コンテストは中断されていた)
1998年度のミス・ジョンゴマ
スーケイナ・セック Soukeyna Seck
若い頃は、大勢の少年が彼女を見に家まで来ていた。
妹が経営する洋裁店をマネージメントしている。30歳(当時)。独身。
B 102cm H 136cm
映画俳優Douta Seckはおじさんにあたる。
1999年度のミス・ジョンゴマ
ンジャブー・チャム・ジョップ Ndiabou Thiam Diop
スペインで商売をしている夫の第2夫人。3人の子供の母親。
1999年から、既婚者の参加も可能になった。
彼女は、1) 既婚者であること、2) 準優勝の女性より容姿が劣っている、として激しい批判を浴びた。
身長170cm B 111cm W 94cm H 143cm
2000年度のミス・ジョンゴマは、ソホナ・バレラ(上記参照)。その後、コンテストは中断された。
2005年度のミス・ジョンゴマ
ウリ―・ンジャイ Ouly Ndiaye
娘2人娘と息子1人を育てるシングル・マザー。
(宗教団体からの宣告Fatwaにより、2006年~2011年の間、コンテストは中断された)
2012年度のミス・ジョンゴマ
ウミイ・ゲイ Oumy Gaye
離婚後、独身。27歳(当時)
母親の友達はかつてのミス・ジョンゴマ。
コンテストのために100万FCFA(約20万円)を支出した。そのほとんどが、応援団全員のための入場券購入代だったという。
風紀統制改善団体(Asdrem)がコンテストのテレビ放映を禁止した。
今回から、ギニア、ベナン、コートジボワールの代表も参加できるようになった。
2017年度のミス・ジョンゴマ
パンダ・ハレイ Penda Khaley
コンテストのテレビ放映が禁止された。
同じようなコンテストに、カメルーンのMiss Mama KiloやタイのMiss Jumbo Queenなどがある。
セネガルの格言:
《Am bir, am taat, saf ma na dem》
(私はおなかが出ていて、大きなお尻、しかし、私は私の道を行く)
意味:「私は熟女、だから何も怖いものは無い」
《落ち》 2000年4月11日付の《Tract》紙には、「4月8日に行われたミス・ジョンゴマ・コンテストの最終審査の際、ファイナリストたちが、ラン・ウエイから観客に向かってビンビンやベーチョをばら撒いていたが、中国人がラン・ウエイの前に飛び込んで行って、それらを拾い集めていた」と書かれています。その《中国人》とは実は筆者のことです。涙😢
Jongoma ya taa rou !
ジョンゴマ、あなたは優美な女性です !
【参考文献・Webサイト】
・『美の認知』川畑 秀明
・『SENEGAL』Christian Saglio Point Planète Seuil
・『Dictionnaire insolite du Sénégal』Christophe Parayre COSMOPOLE
・『Amina』N°293, N° 363
・『Thiof』N° 21, 22
・『Tract』 11/04/2000 N° 25
・『Harmonie』Novembre 2005
・『Télé Mag』N°22
・『LESENEGAL.NET』
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