《アーティストたち》
西洋絵画や日本画の「美」に慣れ親しんでいる私達にとっては、アフリカの現代絵画を見ると、ちょっと受け入れ難い感覚を持つことがある。しかし、それは、私達の保守的な美意識をこじ開けられた瞬間でもある。
日本の近代絵画の黎明期における画家たちが「日本らしさ」を捨てなかったように、セネガルの現代作家たちも、西洋絵画の技法や表現を取り入れながらも、アフリカン・スピリッツをストレートに表現している。愛するアフリカにプライドを持ち、アフリカに生まれたアイデンティティを「自分らしさ」に変えてキャンバスに描いている。その「自分らしさ」は見事に普遍的な「美」に昇華されているように思える。
日本画が葉の一枚、一枚を、葉脈の一筋、一筋を細密に描くのに対し、アフリカの現代美術は、あまり細部にこだわらず、勢いに任せて一気に描き、大まかな表現ではあるが、私達の心を揺さぶるものがある。日本画が「理知的な美」「静の美」とすると、アフリカの現代美術は、「アフリカン・ダンスのリズムに乗って《疾走する美》」「動の美」と言える。
筆者が出会った画家や彫刻家たちは、アフリカに生まれたことにプライドを持ち、アフリカのスピリットを土台に、西洋の美術に媚びることなく、「普遍の美」を情熱的に追及していた。たとえ作品が売れなくて貧乏でも、自分の信念を貫いている姿勢がひしひしと感じられた。
セネガル美術復興の黎明期に活躍した15人のアーティストたちを5回に分けて紹介する。
(かなり長いですが(笑)、彼らは大変興味深いことを言っているので、じっくりと時間をかけて読んでみてください)
尚、紹介するアーティストたちを選択するにあたり、セネガル文化省文化遺産局のアドバイスを参考にした。出会った画家とできるだけインタビューまたは立ち話をし、アーティストたちの《創作活動の思い》を語ってもらうようにした。
ここで紹介したアーティストたち以外にも、ジャコブ・ヤクバJacob Yacouba 、ムサ・ティンMoussa Tine、エル・アジ・シィEl Hadji SY、ドウツ・ンドイDouts Ndoyeなど才能あるアーテイストたちが活動している。
セネガルでは1000年の「美術の空白」を埋めるかのように、多くの才能が開花している。筆者にもし時間と機会があれば、新しいアーティストたちを取材したいものである。
セニ・カマラ Séni CAMARA
1939年頃、セネガルの南部、カザマンス地方のビンニョナBignogna村に生まれる。
陶芸家。セネガル大統領芸術賞を受賞。
12人の子供の母親。
筆者は、ゴレ島の「奴隷の家」を訪れた後、向いにある「女性博物館Musée de la femme」にふらりと入ってみた。農村の女性が日常生活で使う、壺やかめや臼や杵などの道具が陳列されていた。その中に、日本の縄文時代に作られた土偶のようなテラコッタ像があった。説明文を読むと、「作者:Seni CAMARA」と記されていた。何の衒いもない、原始的なその形は妙にインパクトがあり、心に残った。
家に帰って調べてみると、セネガルの南部のカザマンス地方に住む女性陶芸家であることが分かった。
大型連休を利用して、フェリー船「ジョラ号」に乗ってカザマンスにいる彼女に会いに行くことに決めた。(因みに、ジョラ号は翌年、夜間航行中暴風に襲われダカール沖で転覆した。1.863人の死者が出る大参事となった)
実は、当時、カザマンス地方では分離独立運動が続いていて、反乱軍により、フランス人観光客が誘拐され殺害された事件が起きていた。日本大使館は邦人に対し、カザマンス地方への移動を控えるよう勧告していた。
筆者の無謀ともいえる決断に、筆者自身が目をつむり、大使館の勧告も見なかったことにして、《自己責任》でカザマンスへの旅を決行した。(すみません。もう時効ですよね)
「ジョラ号」がジゲンショール港に着くと、すぐにタクシーに乗って、彼女の村に向かった。
途中、軍隊の装甲車や数十人の兵士を乗せた軍用トラックとすれ違った時は、その不穏な雰囲気にさすがの筆者もビビッた。
彼女の家に着いた時、彼女はいなかった。彼女は市場で自分が作った陶器を売っているらしく、子供が彼女を呼びに行ってくれた。彼女の作品は、市場で野菜や果物と同じように売られているのだ。
彼女を待つ間、筆者は夫のサンバさんと外で話しをしていた。彼はとても優しい人で、ミント・ティ-を作ってくれた。
遠くから、マンゴの林の中を歩いてくる彼女の姿が見えた。彼女が近づくにつれて、すごいオーラを感じた。ちょっと、アフリカ映画のワンシーンのようだった。
彼女のくるりとした目の奥には、情熱的な光が燃え、芸術家特有の好奇心があった。
最初は差しさわりのない、挨拶程度の話しをしていたが、作品の話題になると、彼女の顔がさっと変わり、芸術家の顔になった。
インタビューを終え、彼女が一人だけの写真を撮った時は、鋭い目をしていたが、自分の子供と一緒の時は、母親の優しい顔に戻っていた。彼女の作品の源は、家族の愛にあるのかもしれない。
作品のタイトルは、『妊婦』『馬に変わる女性』『2人の子供といる父親』『2人の子供といる母親』『考え事をしている老婆』などで、家族の絆をテーマにしている作品が多い。
女性の姿や、人間の姿をプリミティフに表現し、どこか不完全なリアリティがある。
一見、妖怪的で、おどろどろしい印象を受けるが、じっくり見つめていると内面の優しさや温かさが感じられてくる。
筆者:どのような経緯で陶芸家になったのですか?
セニ:テラコッタは10歳頃から作っていました。最初は、市場で売っていたのですが、ある日、ヨーロッパの調査団がこの村に来た時、村が調査団へのお土産として私のテラッコタを選んだのです。それが、スペイン人の芸術家に高く評価され、そして、セネガルでも評価されるようになったのです。
筆者:材料は何を使っているのですか?
セニ:水田の下の粘土を使っています。夫が朝、集めて来てくれます。
筆者:制作はどのように行っているのですか?
セニ:原則的に朝8時から夜19時まで製作していますが、その間に市場に行って陶器を売りに行ったり、家事をしたりします。
粘土で形を作った後、木と一緒に穴の中に入れて野焼きをします。地面に掘った穴は天然の窯です。
私にはアイデアがあります。そして、それを熟考し、作品にします。この能力は神様からの贈り物だと思っています。
作品を作る時、祖先が禁止している事をすべて破壊するつもりで創作に挑んでいます。
インタビューが終わって、アトリエを見せてもらったが、1.000体ほどの作品が並べられていた。中には高さ1mほどの作品もあった。
彼女は中央画壇には全く関心が無く、カザマンスの片田舎で、ただひたすら自分が信じる「美」を求めて、自分の創作意欲、インスピレーションに任せて、作品を作っている。
彼女が言うには、「自分の作品に興味を持ってくれる人にだけ販売する」とのこと。
筆者は下記の写真の作品を10.000FCFA(約2.000円)で購入した。
彼女の作品は、プリミティフでありながらも、稚拙ではなく、全体の均衡が取れていて、洗練されている。ダイナミックで、創造的で、ちょっと妖怪っぽい雰囲気の中に、深い芸術性が感じられる。
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