スレイマン・ケイタ Souleymane KEITA
1947年ゴレ島に生まれる。
13歳でセネガル芸術学校Ecole des Arts du Sénégalに入学し、イバ・ンジャイが新設した造形美術科Section des Arts Plastiquesで学ぶ。その後、陶芸科に移る。
パパ・イブラ・タル、イブー・デュフに続く第3世代の造形美術家。
2012年、セネガル大統領芸術賞を受賞。
1975年、28歳の時アメリカ合衆国に渡り、アフリカ系アメリカ人の芸術家たちと交流を結んだ。1985年にセネガルに戻り、ゴレ島にアトリエを構えるが、その後、ダカール市内に転居する。
インタビューの日。筆者がアトリエに到着すると、彼はおいしいアッタイヤ・ティー(ミント・ティー)を御馳走してくれた。話し方がもの静かで、温かみのある人だった。
釣りをするのが好きらしく、まずは釣りの話しから始まった:
「若い頃はゴレ島の海で素潜りをしていましたが、今はもう年をとったので、もっぱら釣りをしています。私はピローグ(小舟)を持っていて、それで釣りにゆきます。エサは、エビまたはヤボイ(いわし)で、タイやスズキを釣ります。
私の親友にディメという彫刻家がいますが、彼がヒメジをタイと騙されて買って来たので、大笑いしました。
数年前に、日本大使館にいた文化担当の小川さんという人と、一緒によく釣りをしました。
国際交流基金の招聘で日本に行ったことがあります。東京は大好きでした。広島にも行きました。日本で筆を買いました。とても素晴らしい筆です。線を自由自在に描くことができます。デッサン帳も買って、そこに日本の筆で作品の下絵のデッサンを描いています」
そう言って、彼はデッサン帳を見せてくれた。
筆者:あなたの作品のテーマは何ですか?
ケイタ:テーマは私の人生における経験と深い関係があり、次のように変化してゆきました。
・「海底」
・「渦」
・「魚」
・「Scarification (身体切傷)」:風習やまじないで顔や皮膚に傷をつけること。映画の中でケイタの母親も顔に傷がつけられている。
・「狩人のジャケット」:ケイタのルーツであるマンダング族が狩猟の時に着るジャケットに絵を描いた。
・「大地のモノクロム」:鮮やかな色、強烈な色はない。《チョコレートの王国》と言わている。少し、暗い感じがするが、重厚。深みがある。今までの美しい、華やかで、軽やかな絵から一転して暗く重い絵になっている。
・「マリの旅」
・「メキシコのエチュード」
・「ツチ族の虐殺」
ケイタ:商業的には、「渦」の絵がよく売れたので、ずっとそのシリーズの絵を描き続ければ、儲かるのですが、アーティストとしては常に新しいものにトライし、進歩、進化、変化してゆきたいと思います。
筆者:円形の作品がありますが、何か意味があるのですか?
ケイタ:最初の曲線がどこから始まり、どこで終わるのか分からない。それは、母からこどもへつなぐ終わりのない愛情の循環です。また、そこには記号や象徴がちりばめられ、想像をかきたてられます。
筆者:まるで日本画のような美しさです。
ケイタ:灰色、コバルト色、ネービーブルー、サフラン色、薄紫色は繊細で微妙な優しさを表現できます。空間の美しさを際立させるようにしました。
筆者:あなたが影響を受けた画家は誰ですか?
ケイタ:カンディンスキー、ジャコメッティ、ミロ、デュフィ、パウル・クレーの作品から影響を受けました。逆に彼らはアフリカ美術の影響を受けています。私なりに物体をそぎ落とし、1つの単純化した形に収斂してゆくと、結局、彼らの作風に近づいた、ということです。
美術評論家シルバン・サンカレ氏との対談(筆者訳):
サンカレ:画家になるまでの経緯を教えてください。
ケイタ:子供の頃、画家の人達と付き合いがありました。画家と言っても、いわゆる「日曜画家」という人達で、ゴレ島の風景を水彩画や油絵で描いていました。私はこの時期に絵画に興味を持ち始めました。小学校卒業後は、画家になりたいと思っていました。そして13歳の時、セネガル芸術学校Ecole des Arts du Sénégalに入学しました。そこで4~5年勉強をした後、1年間休学し、インテリアデザイナーの助手として働きました。その後、復学し、陶芸科に移りました。美術学校を卒業し、私は海辺の町スンべジュンSoumbédiouneにあった陶芸の工房で働き始めましたが、しばらくして、絵を描くためのアトリエをゴレ島にも持ちました。
私は独自の画風を創り上げ、自分自身を《記念碑》画家と呼び、当時、エコール・ド・パリ派のアーティストたちが行っていた《シュポール/シュルファス》風の絵を描いていました。(訳注:《シュポール/シュルファス》は、1968年の5月革命以後、あらゆる制度的なものへの問い直しを行ったフランスの美術運動。木枠を使わない布に、反復パターンを着彩し、床に置き、または垂らすなど、壁面にとらわれないあり方を探った)
セネガルで催されたピエール・スーラージュSoulageの展覧会を見た時、私は彼と同じ道具を持ち、同じテクニックを持っていると感じました。例えば、地べたで作品を制作するなどです。私は17歳か18歳でしたが、彼と同じように美に対する不安がありました。
その後、当時のセネガルのアーティストたちにはある種の画風があることに気付きました。彼らと同じようなスタンスで作品を作らないと、セネガルのアーティストたちのグループの一員とは見做されないような雰囲気がありました。私は彼らのやり方に迎合して作品を制作していましたが、数年後にはうんざりしてきました。これは私の道ではないと悟り、水彩画を始めました。なぜ水彩画か?それは画材が油絵と比べはるかに安いからです。
私は精力的に作品を創りました。作品のほとんどが水彩画でした。自分の道を少しずつ進み、旅をしながら他のアフリカの国々のアーティストたちと出会いました。
1980年~1985年まで、アメリカ合衆国に滞在し、私と同じ悩みを持つ多くの芸術家たち、例えば、アフリカ系アメリカ人や、ディアスポラ(外国に離散したアフリカの人々)の彫刻家や画家や音楽家たちと知り合いになりました。私にとって本当に有意義な滞在でした。
この時期は非常に重要な時期で、《ダカール-バマコ間マリの旅》と名付けた連作を制作しました。ニューヨークにいた5年間はこの作業にだけ集中していました。
私は甲状腺の手術をした後、うつ状態になりました。医者がニューヨークから離れたほうが良いとアドバイスをしてくれたので、1985年にセネガルに帰国することにしました。
最初は、セネガルに滞在するのは6ヶ月くらいと予定していましたが、ゴレ島に戻って別の世界を発見し、そこにとどまって絵を描くことに決めたのです。
他の国を旅した事により、かつて決して追及しなかったことを、作品の中で追及するようになりました。私はその段階に達するとは思っていませんでした。それは、《私のネグリチュード》です。
アフリカにいる私たちが創作している作品は、西欧の作品とは全く関係がないということに気づきました。
作品の中で「アフリカ性を追及する必要がある」と私も思っています。それが私をどこに導いてくれるか分かりませんが、私自身は何となくそれを感じます。
サンカレ:今後の制作において何か希望はありますか?
ケイタ:私の希望は、良い絵画を制作することです。25年~30年の経験を基に、造形美術の仕事を深めたいと考えています。
また、記念碑的な美術の仕事をやってみたいと思います。
私たち《発展途上国》の国は、建築の分野でやるべきことがたくさんあります。建築家と一緒に仕事をしてみたいです。私たちが制作した作品を保管する美術館がありませんが、私たちの足跡は残さなければならないと考えます。私たちは不滅ではありませんから。
サンカレ:誰か会ってみたいというアーティストはいますか?
ケイタ:かつてアメリカ合衆国に滞在していた時、アメリカ人アーティストと親交を深めました。そこで知り合ったミュージシャンのロン・カーターや彫刻家のメル・エドゥワートに会いたいと思います。
サンカレ:造形美術以外で何か他に興味を持っていることがありますか?
ケイタ:陶芸ですが、設備的に問題があります。道具が揃っていないし、作業のスペースもありません。しかし、ある日実現するかもしれません。
私は記念碑的な美術作品を制作したいと思っていますが、それは土の仕事、陶芸の仕事のことです。
サンカレ:音楽には興味はないのですか?
ケイタ:私にとって、造形美術や音楽や建築は補完的な芸術です。アフリカのアーティストの最大の悲劇は、これら3つの芸術を分離する教育を受けていることです。
現在、私の国で流れている音楽は、セネガル美術を反映しています。残念ながらセネガルのポプラ―音楽よりジャズをよく聴いています。
私は絵を描く時、音楽をかけて作業をします。音楽を聴くのも好きですが、詩を読むのも好きです。特に、レオポール・セダール・サンゴールの詩が好きで、何度も読み返したり、壁に貼ったりしています。
サンカレ:作品を創る時、インスピレーションの源は何ですか?どんな精神状態の時、絵を描きますか?作業はほとんど機械的に行われるのですか?
ケイタ:絵を描くことは、⦅魂の状態になる⦆ことです。
私はアトリエに朝9時に到着し、コーヒーを飲んだ後、アトリエの中を少なくとも2時間くらい何もせずにただグルグル歩き回ります。そして、キャンバスを地面に置いて、絵の具を取り出し描き始めます。いつ絵を描き始めるか、いつ描き終わるか分かりません。
難しいのはいつ終わるのか?いつ終わるかを決めることです。
サンカレ:あなたの絵の中には、絵を観る人に対するメッセージがありますか?
ケイタ:例えば、私は《ツチ族の虐殺》という一連の絵を描きました。最初にこのニュースをラジオで聴いた時、私は怒りが込み上げ、いつのまにか白いキャンバスに向っていたのです。
キャンバスに向かう時は、私の中にたくさんのことが蓄積されていて、それが自然に湧き出します。これが私の言う「魂の状態」です。あなたの質問は大変重要なことで、魂の状態でない時は、何もしない方が良いと思います。そうすれば、画材の浪費を避けることができます。
サンカレ:あなたのプライベートについてお聞きしますが、絵を描いていない時は何をしていますか?また、友達や家族についても教えてください。
ケイタ:私は2回結婚しています。最初の妻はアフリカ系アメリカ人でした。彼女との子供はいません。その後、もう一人の女性と生活を共にしましたが結婚はしませんでした。彼女のことはとても愛していましたが、子供はいませんでした。
6年前にセネガル人女性と結婚しました。サン・ルイ出身で、私は彼女をリスペクトしていますし、とても愛しています。彼女との間に女の子1人をもうけました。
私の母は健在ですが、父はすでに他界しています。兄弟・姉妹がいて、友達もたくさんいますが、頻繁に会うことはありません。私はどちらかというと、出不精なのです。仕事をしていると、友達と固い友情を結ぶ時間を持つことが難しいと思います。私の1番の友達は、私の作品です。私の人生は作品を中心に位置付けられています。私は妻にはよく「私の1番の女性は、かつては筆とキャンバスだったが、現在はそれらは2番目になった」と言って笑っています。
私の娯楽は釣りです.
サンカレ:あなたのすべての作品には、海の影響が見られます。
ケイタ:私が生まれたゴレ島の環境だからだと思います。
サンカレ:あなたの絵には、水の反映の光や、典型的な海の色や、海藻を想起させる形や、自然を形成するコンポジションが見られます。あなたには何か他にインスピレーションの源があるのですか?
ケイタ:マリの旅です。
サンカレ:確かに。マリの旅は、地上の旅です。海とは違ったものを感じます。マリの旅は、地上から受けた影響ですね。
ケイタ:私は常にキャンバスに私の気持ちを表現することに努めています。
サンカレ:作品には思い入れがあるということですね。人々があなたの作品を鑑賞すればあなたは幸せですが、本来、作品はあなたのものですからね。
ケイタ:そうです。作品は私のものです。最初は、作品が私から去ってゆくのはとても辛いものでした。今でも、私の作品を見に来た人に、見せたくない作品がいくつかあります。それは、その人がその作品に興味を持ち、お金と引き換えにその作品を持って帰られるのが怖いのです。(笑い)
サンカレ:苦しんで作品を完成させた後、作品に愛着があっても、その作品と別れなければならないのですね。
ケイタ:作品と別れることは好きではなかったです。しかし、私は絵で食べているのですから、作品との別れは必然です。15年前に私の作品を買ってくれた人の家に招かれたことがありましたが、そこで私の作品を見た時、その作品を取り外し、持って帰りたいと思ったことがあります。また、他のところでは、私の作品の額縁の趣味が良くなかったり、飾ってある周りのインテアリアが気に入らなかったりして、作品を買い戻したいという強い欲望にかられたこともありました。
サンカレ:あなたのすべての作品に囲まれて生きてゆきたいということですね。
ケイタ:確かにそうです。
サンカレ:そのような魂の状態の中で窒息しそうになることはありませんか?
ケイタ:いいえ、ありません。私が創り上げた作品と一生、人生を生きてゆくことができます。
サンカレ:私は文章を書く作家ですが、いったん本を書きあげたら、その本の将来についてはあまり重要性を感じません。
ケイタ:絵画や造形美術では、人は進化します。15年前に描いた作品を見るのは常に興味深いことです。作品を見ると、「ああ、こうすれば良かった。この色を使ったのは失敗だった。この色は現在では合わない」と悔やみます。
絵画は生きています。時間が経つにつれて奥深い⦅古色⦆が出てきます。それ故に、私は油絵に固執するのです。アクリル画は、現在、普通に商品化され、時代遅れにならず、古色を帯びません。
油絵は、10~15年後に美しくなります。それが私を惹きつけるのです。
サンカレ:その15年前の作品を見たら、手を加えますか?
ケイタ:それをすること可能ですが、実際に手直しをするのは恐いです。
サンカレ:このインタビューが行われているあなたの部屋には特別なシリーズの絵が飾られています。あなたの最初の頃の作品は暗かったのですが、色調の変化があります。一方、キャンバスの切り替え布はとても独創性があると思います。これはあなたの今までの作品では見られなかったものです。これは何に因るものでしょうか?
ケイタ:すでに言いましたが、私はシリーズで描く連作が好きです。現在、インディゴカラーの連作を制作しています。
私は作品の中に《ネグリチュードの追及》があると述べましたが、私が最初に円形のキャンバスを作った時、何か良く分からない奇妙な感じがしました。その時、私は《私のネグリチュード》を意識しました。
今日、私はどこに行くか本当に分かりません。さっきも言いましたように、絵画は⦅魂の状態⦆です。いつ始まるか分かりませんし、いつ終わるかも分かりません。近いうちにダカールの人々に興味深い連作をお見せできると思います。
サンカレ:抽象画において、ネグリチュードはどのように具現化されていますか?
ケイタ:いい質問です。私は抽象画や具象画やキュビズムといった呼び方を信じていません。それは、画家を分類化するために西欧で作られた約束ごとにすぎないからです。セネガルにはそのような分類は存在しません。絵画は美しいか、美しくないか、ただそれだけです。確かに、私は具象画に対しあまり魅力を感じません。
サンカレ:あなたは具象画を描いたことはないですね。
ケイタ:いいえ、ありません。一時期、女性の顔をデッサンしたり、ゴレ島の風景や水彩画を気分転換で描いていました。具象画は私の作品においては重要な芸術分野ではありません。
サンカレ:肖像画を描いたことはないのですか?
ケイタ:はい、ありません。人物の写真を撮り、それを切り取ってコンポジションを制作したことがありますが、ただそれで終わりました。それ以上は続けませんでした。
サンカレ:他の表現方法をやってみたいと思うことはありますか?
ケイタ:アトリエにスペースがないので、残念ながら他の表現方法を試すことはできません。学ぶことに終わりはありません。毎日、絵画を学びたい、ゼロからやり直したいという気持ちになります。私は、白いキャンバスの前で常に不安を感じるのです。
サンカレ:あなたが固執する理想とは何ですか?
ケイタ:私の作品が置かれている状況に非常に関心があります。ある時、私は私の作品がいい加減な場所に置かれているのを見て残念に思ったことがあります。
私の作品を悪趣味なインテリアの中で見た時は唖然としました。色の調和、家具の選択、額縁などはとても重要な問題です。
多くの人は人気のある流行作家の作品を購入することで満足します。しかし、それは作品そのもの、または画家に対する真の評価ではありません。
私には、作品を大いに評価する画家が数人いますが、彼らと共同展覧会をすることができないし、作品を並列することもできません。私の作品が彼らの作品を食ってしまうか、彼らの作品が自滅してしまうか怖れているからです
サンカレ:今ここにいるあなたの部屋を見ると、木製の家具に関心があるようですね。
ケイタ:そうです。木製の家具の修復や製造やデザインに興味があります。私はゴレ島の若い家具職人の養成も行っています。
セネガルのアーティストたちは、国民を目覚めさせ、その感性のレベルを引き上げる役目をしていないと思います。彼らは建築家と協力して家の設計をし、家具のデザインもして欲しいと思います。セネガルの人々はインテリアや家具などにもっと自分の個性を出して欲しいと思います。
サンカレ:そのためには、反社会的な行動を好むセネガルのアーティストたちは、社会に順応する努力をするべきだと思います。
ケイタ:確かにそうですが、その種のアーティストたちは消滅しつつあります。長い間、セネガルでは、アーティストであることは、アウトサイダーだったのですが、時代は変わり、アーティストたちは少しずつ社会的に認められるようになりました。
私に関して言えば、私は地域住民であるゴレ島のすべての人々から、敬意と愛情を持たれていると思います。私を除け者にせず、彼らの仲間の1人として受け入れてくれています。彼らとは政治のこともスポーツのことも何でも話す仲です。
《参考文献・Webサイト》
・『Moustapha Dimé』Hôtel de Ville de Paris
・『Ibrahima Kébé Peintures Serigne Mbaye Camara Sculptures』1997 Charleroi-Montigny-Le- Tilleul-Thuin
・『souleymane keita』Sépia-Nea
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