セネガルの現代美術 4/5

【セネガルの現代美術  4/5】

《アーティストたち》

ババカール・セディク・トラオレ Babacar Sédikh TRAORE

1956年ダカールのメディナに生まれる。

国立美術学校(Ecole Nationale des Beaux-Arts)彫刻科卒業。⦅第1回世界黒人芸術祭⦆の開催に合わせてサンゴールから招聘された彫刻家アンドレ・セックの生徒。

彫刻家。家具デザイナー。

1991年、大統領賞芸術賞受賞。

ババカールによると、奥さんはロンドン大学の人類学宗教理論の教授。

お兄さんの奥さんは日本人。

ダカールの下町メディナに住み、「メディナの王様」と呼ばれている。

水道料金未納で借家を追い出されたことがある。その時、町の子供たちは、彼への「恩義」と「同情」を示すために、通りでデモ行進をした。

入口のドアには、次のように書かれている:

ババカール・セディク・トラウレ

光の街   (アル・ムナワラAl Mounawara)

メディナ王国

《人生の箱舟》

ババカールは、鷲を飼っていて、そのエサとして生きたネズミをつかまえている。彼の家に着くや否や、そのネズミをまず見せられたのにはびっくりした。

彼にインタビューをしたが、返ってくる答えは「哲学的」「形而上学的」。理解に苦しむ回答が多かった。しかし、しゃべり方は謙虚で、もの静かで、瞑想的だった。

筆者:あなたの作品のテーマは何ですか?

ババカール:テーマは「水」です。水はいろいろな形に変わり、移動します。水はすべての命の泉です。水があるから命があり、水があるから美しい自然があるのです。水を得る努力をしないと、水は枯渇します。水は人間より賢いのです。水の流れる音を聞いて欲しい。水はそのままの音を出しています。水の音を聴くことは、芸術です。将来は、石油ではなく、水が最重要資源となります。水は平和であり心です

筆者:環境問題もテーマですか?

ババカール:アフリカの地下水脈は汚染され始めていると思います。ヨーロッパの国々は、アフリカをヨーロッパのゴミ箱だと思っています。汚れた水、汚れた空気、汚れた動物がアフリカにやって来ます。環境を保護するには、地球と人間の調和が必要です。このバランスが崩れると、すべてを失います。自然は寺院と一緒です。人間と宇宙を切り離すことはできません。宇宙は壮大で、自然の法則が支配しています。自然を破壊したら、その結果は自然を破壊した人たちにブーメランで戻ってきます。自然と張り合ってはいけません。

私は自分の庭に井戸を自分で掘り、自分のために使っています。水道公社(SDE)の水は、近所の人が自由に使えるようにしています。

筆者:メディナ地区が8日間断水になった時、女性や子供たちがデモ行進をしました。

ババカール:私はデモの先頭に立って、「メディナに1滴の水を!」という運動を始めました。

筆者:なぜ、あなたは「メディナの王様」と呼ばれるようになったのですか?

ババカール:フランスの植民地時代、ペストが流行りました。この伝染病は、ダカール市のプラトー地区に昔から住んでいたレブ―族の人たちに猛威をふるいました。植民地政府は、数千人のレブ―人をプラトー地区から追い出し、新しい土地に住むよう命令しました。当時のダカール市郊外は、草むらで覆われていてジャッカルがうろついていました。追放されたレブ―人たちが草むらを進むのをためらっていると、そこにティジャンヌ教団の創始者マオド・マリックMaodo Malickが現れました。そして神様の前にひれ伏した後、立ち上がってこう言いました:

「この土地はいつか神の恩恵を受けることになるだろう。《希望を運ぶ男》が現れ、人々を永遠の栄光に導くだろう」

私がメディナの人々を支援しているうちに、いつのまにか私が《希望を運ぶ男》になったのだと思います。

筆者:メディナには思い入れがあるのですね?

ババカール:メディナは、私が生まれ育った土地です。メディナはその運命により見捨てられたことがあります。それ故に、私はこの土地の自然と人間を生き返らせようとしているのです。

筆者:あなたは自分の作品にサインをしないそうですね?

ババカール:私は自分の作品にサインをすることはありません。なぜなら、昔のアフリカの職人は「自分の製品」としてサインをするのではなく、「共同体の製品」としてサインをしていたからです。今日、芸術はあまりにも商業主義に走り、その意味を失っています。芸術家は昔のように予言者ではなくなりました。恐怖と無知とエゴイズムから浄化された芸術家のみが、芸術の崇高な次元に到達することができるのです。偉大な事はシンプルな中にあります。それが昔の人々のメッセージです。最も重要な概念は《命》です

と、ここまで話すと、ババカールは突然庭に出て作業を始めた:

まず地面に長方形と円を描く。「円は、無限の大地。天空の大地の安定性を示している」と言う。

ババカールは「ゆっくりゆっくりと本質に迫る」と呟きながら、手を休みなく動かしている。

円の中央に、ガーナのアシャンティ部族のアクアバ風の人形を置く。アクアバとは、「ようこそ」という意味らしい。像はアフリカを意味し、地面に描いた線は日本の国旗を示している。

赤い布で人形の周りを囲む。赤は太陽を意味し、不純物を焼き尽くす。「大地を照らす太陽がなければ、命の存続は不可能だ」と呟いている。

白い布を赤い布の周りに置き、日の丸の旗をつくる。

左端の四角形は、汚染された大地を示している。その中に使用済みの乾電池を置く。

                    完成!

そして、ババカールは言った:

「日本の国旗は、世界一シンプルだが、世界一英知がある。物事はシンプルでなければならないと思う。シンプルに到達することは難しい。シンプルなことは難解だ。人は単純だと、空の本質を理解できる。ダカールの日本大使館の建物は、シンプルで、海と静かに語りあっている。」

「日本の『沈黙の美』にはいつも感動する。宇宙の均衡を感じる。セネガルには土地があるが、創造性が欠如している。忍耐があれば、たくさんの事を発見できる」

メディナの子供たち

ババカールは庭にやって来る小鳥たちのために、トウジンビエを栽培していた。

小鳥たちはヒエを食べた後、感謝のためにさえずる」と言っていた。

彼と一緒にメディナの街を歩いていたら、子供たちが「ババカール!」と叫んで近づいて来て、ニコニコしながらみんなで歌い始めたのには驚いた。

『宇宙の心』「Dak’Art」より転載

RFI(国際フランスラジオ)のインタビュー (筆者訳)

RFI:あなたは霊的で神秘的な彫刻家として知られています。あなたの作品は自然の素材が持つ魅力を蘇らせています。そうした中で《ユッスー・ンドゥールのベンチ》を制作しました。

ババカール彫刻は私たちに見つめられるために存在していますが、家具デザインは、より複雑です。人間は物質と共に生きているので、家具デザイナーになるためには、解剖学と人体の知識が必要です。技術も求められます。誰も壊れてしまう椅子には座りたくないし、狭苦しいベッドには寝たくないと思います。そういう意味で技術は重要です。しかしながら、アフリカの家具デザインはまだ確立していません。

RFI : あなたの技術レベルは高く、あなたが制作する家具は自然そのものです。その技術は目に見えるものではなく、詩と霊感に溢れています。あなたは、インドのマハラジャのようなターバンを巻いて、下町のメディナで制作を続けています。こうした中で、あなたは、ホワイトメタルの上にライオンを彫ったベンチを制作し、《ンバラ》のスーパースター、ユッスー・ンドゥールに捧げました。1998年のダカール・ビエンナーレでは、《豊穣》を象徴する『玉座』や『双子の椅子』を展示しました。

『双子の椅子』

ババカール:「双子」というより、むしろ、《補完性》の概念、《カップル》の概念、《男と女》の概念です。なぜならば、1つは男性用の椅子、もう1つは女性用の椅子だからです。椅子のヘッドは、《豊かな》双子を表現しています。昔、女性は人形をいつも手元に置いておいて、子供を宿すことができるよう、空にお願いをしていました。私にとって、椅子は《豊穣》のシンボルです。それ故に、私は材料として、水道管を使用しました。なぜなら、水道管は水を運び、水を流します。私にとっては、水より豊かなものはないので、水道管を使って椅子に役立てたかったのです。私がやっていることは、アフリカ美術を超えていると思います。私はアフリカのアイデンティティを探しているわけではありません。そのことに興味はありません。私に関心があるのは、命であり、宇宙の調和であり、人間です。日本の美術とアフリカの美術の間に境界はありません。私のデザインは、すべての人のためです。私に関心があるのは、人間です。重要なものは人間です。

RFI:あなたは素晴らしい《杖》も制作しましたね?

ババカール:《杖》は、シンプルな「アフリカ性の象徴」です。私は複雑なものにしたくなかったのです。私はただ単に「世界はアフリカと共に歩んで行かなければならない」と暗示したかったのです。アフリカは世界の中の一地域ですが、世界の《杖》として存在しています。そしてその《杖》は、アフリカの彫刻が原動力となっています。バンバラ族の伝統から生まれた《チワラ》はある意味では《杖》です。《チワラ》というのは、耕作地の守り神です。私たちバンバラ族は、「チワラは、土地をどのように耕すかを教えるために、人間に送られて動物」と言われています。チワラは豊作を象徴する動物です。宇宙と共に生き、大地と共に生きているのです。それ故に、私たちバンバラ族は、収穫の時、チワラのダンスを踊ります。私はバンバラ族で、私のルーツを否定はしませんが、バンバラ族やセネガル人であることは、さほど重要な意味はありません。それはむしろ、自由を奪う誤った幻想にしかすぎないのです。世界において最も重要なことは、自由です。自由を絶対に失ってはいけません。アフリカのアーティストたちは、「これがアフリカの美術だ」と断言しますが、それは残念ながら、西洋の批評家たちが、「これこそが、アフリカのアーティストが造らなければならない美術だ」と言っていることの裏返しなのです。西洋の批評家たちが、「この人はアーティストであるとか、アーティストでない」と決めているのです。一方、アフリカの批評家たちには「これが我々の美術だ」と肯定できる強い感性が無いと思います。

バンバラ族の『チワラ』
(L’art africain」より転載)

RFI : この《杖》はいろいろな材料を使っているようですね?骨のようにも見えますが?

ババカール:《杖》には、角錐状の部分がありますが、そこには、動物の知恵を示す骨が使用されています。なぜならば、動物が放置したツノや骨を、私はそのまま利用し、チワラを連想させる形を作ります。チワラは「歩み」と「知恵」を象徴しています。骨と木と金属のすべての素材がうまく配置されていることが分かります。そして、それは人の手によって作られたという感じが全くしないほど良く出来ていて、これこそ真のデザインだと思います。このような考えやコンセプトに基づき、世界に立ち向かうデザインに具現化できる技術を身に付けなければなりません。私のすべての作業は宇宙に関わっています。それは崇高な自然との関わりです。自然の中に存在する法則を、私はデザインで表現しようと思います。花やマンゴや砂利など、あなたが見ているすべての事に調和があります。私は、見つめる対象物に調和の法則を追及し、調和のある作品を制作しているのです。

RFI : 例えば、この《杖》の材料はどこで見つけたのですか?

ババカール:骨は屠殺場で、木材は自然の中で見つけました。木材はどこでも見つけられる材料で、散歩をしながらでも見つけることができます。しかし、材料が重要ではなく、私がどのようにそれを利用するかが重要なのです。確かに、言ってみれば私はゴミ回収者ですが、私はまず材料に、「あなたは何に向いているのですか」と尋ねます。そして、杖をつくるのが最適だと分かったら、私は杖を作ります。椅子を作るのが最適だと感じたら、椅子を作ります。すべての材料が作品になります。

RFI :あなたが今まで制作した、椅子やひじ掛け椅子や長椅子などのすべての作品は、生命があり、まるで生きているようです。

ババカール:材料を扱う時、私はまず材料をリスペクトします。なぜなら、私は材料に命が宿っていることを知っているからです。例えば、あなたが宇宙を見る時、無限に小さいものから、無限に大きいものが存在しているのが分かります。すべてが存在しています。私は木材を彫刻する時、木材の心と魂をリスペクトしながら、材料にもう一つの美しさと機能を与えます。美というものは常に宇宙の物質の中にあると思います

アトリエ

筆者は、彼のアトリエで『アフリカの箱舟』という作品を見つけ、とても気に入ったので、その場で交渉し売ってもらった。100.000FCFA(約2万円)だった。ダカール郊外のリュフィスク産の大理石石灰岩を使用。大変硬い。

この『アフリカの箱舟』は、作り方が丁寧で、オリジナリティがあり、柔らかい曲線と繊細な美しさが素晴らしいと思った。アフリカの希望を感じる作品だと思う。

『アフリカの箱舟』

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