クスクス料理

セネガル料理は、大きく分けて2つのグループに分かれます。

1.チェブCeeb料理=お米を使ったご飯料理。

2.クスクス料理=トウジンビエあるいはモロコシなどの雑穀を使った伝統的な料理。

かつてセネガル人の主食は、モロコシ(ソルガム)やトウジンビエの雑穀でした。

第2次世界大戦後、お米が大量に輸入されるようになってから、昼食はほとんどお米料理に代わってしまいましたが(最近は、「パントンPain Thon」と呼ばれる、フランスパンにツナのテリーヌを塗った安くて早いサンドイッチが大学生や労働者に人気です)、夕食は、腹持ちの良いトウジンビエを使ったクスクス料理やフォンデと呼ばれるトウジンビエのおかゆなどを食べている家庭が多いようです。

2023年のグラミー賞に、『豊かな雑穀 (Abundance in Millets )』というインドの歌がノミネートされ話題になりました。

トウジンビエやソルガムの雑穀のすばらしさを称える歌で、インドのモディ首相がそのMVに出演し、雑穀の利点と重要性を説明するスピーチも挿入されています。

この曲は、「トウジンビエやソルガムには、カルシウム、鉄、鉛、リン、マグネシウム、カリウムなど人間に必要なさまざまなミネラルが豊富に含まれている。雑穀は万能、飢えを止めることも可能」と、雑穀の健康上の利点を歌いあげ、雑穀の普及と世界の飢餓を減らすことを目的に製作されました。

国連が2023年を「国際雑穀年」と定めたのは、《雑穀大国》インドの提案がきっかけでした。

モディ首相は「飢餓撲滅と貧困抑制」を目指す自らのヴィジョンの実現に向け、この歌の作詞・作曲者であり、歌い手でもあるファルガニ・シャーに「雑穀の歌を作ったらどう?」とアイディアを打診したそうです。

雑穀は、人間が栽培化した最初の植物のひとつで、水不足や洪水など気候変動による過酷な環境にも耐えられます。

また、米や小麦の穀物と比べ、水が乏しいやせた土地でも生産しやすく、栄養価も高い穀物です。たんぱく質、植物繊維の含有量が高く、グルテンを含んでいません。

環境フリーライターの今西 香有氏は、「このような雑穀を広く栽培し、食料と利用することで、国連が採択したSDGsの開発目標2『飢餓をゼロに』、開発目標3『すべての人に健康と福祉を』、開発目標13『気候変動に具体的な対策を』などの達成につながることが期待できる」と強調しています。

クスクス料理は一見、貧しそうな食事に見えますが、本当は、米や小麦よりも栄養的に優れたヘルシーな食事です。ソースに煮込む具材を変えることによって、選択肢の幅が広い、バラエティ豊かな料理となっています。

ごはん料理の王様、チェブ・ジュンがセネガルの「国民料理」であるならば、クスクス料理は、セネガル国民の「ソウル・フード」です。

(セネガルでは、ほとんどのクスクス料理が、小さい粉粒に丸めた「チェレ」を使うので、一般的に、クスクス料理を「チェレ料理」と呼ぶこともあります)

【クスクス料理】Couscous (Cere)

クスクスは元来、北アフリカのマグレブ諸国に居住するベルベル人の料理で、アラブ人の侵入以前から食べられていた。ベルベル語の「食事」を意味する「Seksu」がクスクスの語源である。

クスクスを作るアルジェリアのベルベル人女性

10世紀に始まったサハラ縦断交易の際、北アフリカからやって来たベルベル人のムスリム商人が、デュラムセモリナの小麦粉で作ったクスクスを西アフリカに持ち込んで原住民に伝えた。

しかし、本来の原料である《デュラムセモリナ》がセネガルでは生育しなかったため、その代わりにソルガム(モロコシ)でクスクスを作った。その後、よりおいしいトウジンビエでクスクスを作り始め、現在に至っている。歴史のある伝統的な料理である。

(クスクスのルーツ、マグレブ諸国では、現在、金曜日のモスクの礼拝が終わった後の昼食や、宗教的な祝日に食べ、日常的には食べない)

クスクスは、スパゲッティと同じセモリナ粉で作られる《世界最小のパスタ》と言われている。《デュラムセモリナ》は、デュラム小麦(タンパク質の多い硬質小麦で、別名「マカロニ小麦」)を荒挽きしたもので、そのセモリナがスパゲッティのアルデンテ(シコシコした歯ざわり)を作り出している。

セネガルのクスクスは、トウジンビエを杵で搗いて粉にしたものに少量の水を加え、手早く粉をかき回して小さな粒状にし、蒸し器で蒸したものを料理に使用する。そのクスクス料理は多彩で魅力的である。

大航海時代のポルトガル人年代記作者アズララは、1453年、『ギネー発見征服誌』を著し、その中で、「セネガルのジョロフ王国の家来は、一頭の雌山羊と子山羊、クスクス、マンテイガ(乳酪=バター)つきのパパス(粥)、粉といちじくつきのパン、象の牙を1本、上記のパンの原料となる穀粒、乳、および椰子酒を(ポルトガルの)探検隊に運んでこさせた。」とクスクスのことを記している。

また、このクスクスの注釈として次のような説明がされている:

「クスクスは元来北アフリカで発達した料理で、挽きわりの小麦を水気を少なくしてポロポロに炊き、それに肉や野菜を油と香辛料で味つけした煮汁をかけて食べる。この料理は、西アフリカでもひろく愛好されているが、小麦を産しない熱帯アフリカでは、主作穀物のモロコシ(Sorghum vulgare)やフォニオ(Digitaria exilis)の挽きわりを用いる」

オペラ『お蝶夫人』の基になった『お菊さん』を書いたピエール・ロティは、当時フランスの植民地だったサン・ルイを舞台にした『アフリカ騎兵』を1880年代に執筆した。その作品の中でクスクスを食べている情景が、生き生きと描写されている。大変面白いので、渡辺一夫氏の名訳を引用する。

「代々に亘って女の力を消耗させるこの永劫の臼搗きの結果でできるものは、粗末な粟の粉であって、これを用いてクゥスクゥスという風味のない粥を作るのである。

このクゥスクゥスは黒人たちの食料の主要品になっている。

しかし、この食事というのが、喧騒を極め、滅多に見られぬような光景も展開するのだった。これらの裸の小娘たちは、地上にうずくまったまま、大きなひょうたんの皿の周囲を円く取り囲み、皆一緒にこのスパルタ的な粗末な粥を指でじかに掴んで喰うのである。― きゃあきゃあ叫ぶし、色々な面相をし、澁面を作ったり、黒人一流の悪戯をやったりして、子猿も顔負けの体である。― そこへ角のある大きな羊が闖入してくる。― 猫がこっそり脚を伸ばしたかと思うと、― 粥のなかへ人目を盗んで脚を入れる。― 黄色い犬が侵入してきて、尖った鼻先を皿に突きこむ… 」

また、1796年にニジェール川に達した探検家のマンゴ・パークは『ニジェール探検行』(森本哲郎・廣瀬裕子訳)で次のように記述している:

「主な穀類はトウモロコシで、これには2種類ある。ホルカス・スピカタス(原住民はスーノとかサニオと呼ぶ)と、ホルカス・ニジェールとホルカス・ピコロ(原住民はバシ・ウーリナとかバシキと呼ぶ)の2種は、米とともにかなり多量にとれる」

(注:セネガルでは、実際に「スンナ」「サーニャ」と呼ばれるトウジンビエと、「バシ」と呼ばれるモロコシがある)

1828年に、ヨーロッパ人として初めてティンブクトゥから生還した、フランス人探検家ルネ・カイエも、旅行記『ティンブクトゥへの旅』の中でクスクスの事を書いている:

「午後7時、我々はサン・ルイから南東に約8kmに位置するレイバール村に到着した。到着後すぐに寝たが、10時頃、村人たちが我々を起こし、夜食として、魚のクスクスを御馳走してくれた。その夜は嵐で、一晩中雷の音がとどろいていた。蚊が我々を襲い、眠れない夜を過ごした」(筆者訳)

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