8月13日
18時10分。夕暮れの光あふれるダカール空港を離陸。機体が空の高みに向かって突き進み、そしてふわりと機体が舞い上がるその瞬間が好きだ。Air Afriqueは、パリが始発だったため、ほとんどの乗客はダカールで降りていて、機内はガラガラだった。
さあ、旅が始まる!期待に胸を膨らませながらも一抹の不安はあった。
「水源が見つからなかったらどうしよう…」
コナクリ空港着陸前に、ギニアの地図が乗客に配られた。シンプルな地図だったが、そこには、バフィング川が青色で表示され、マムー方面に向かっていた。それを見て、「とにかくマムーに行こう」と改めて思った。
8月14日
朝、雨の音で目が覚めた。どこか懐かしい感じがする音だった。カーテンを開けて、外を見るとそれが波の音だったことに気がついた。目の前には灰色の大西洋が広がっていた。
朝食を早々と済ませ、清算をしてホテルを後にする。
まず、レンタカー屋に行き、料金の交渉をし、そして、コナクリから東に275km離れたマムーに向かった。
ミネラルウォーターの産地、コヤCoyahを過ぎると、周りは途端にうっそうと茂る緑の景色に変わった。
道路は急な勾配を上がったり下がったりした。
車のラジオから流れて来るリンガラ・ミュージック風の曲が、妙に風景にぴったりと合っていた。湿度の高い空気の中を軽やかに流れるその曲は、数年前に調査で行ったザイール(現在のコンゴ民主共和国)の旅を想い出させた。
キンジャKindiaを過ぎると、遠くの森の斜面に滝らしいものが見えた。
ドライバーに聞くと、「美しい滝がある」とのことだった。
ちょっと寄り道して滝を見に行くことにする。
滝の入り口には背の高い竹の林があった。
60mの落差で落ちる水は、薄い半透明のヴェールのように見えるので、『花嫁のヴェール』と呼ばれている。
また美しいものと出会えることができた。
「寄り道」は時間を失うことではなく、意味のある時間を持つということだ。
(注意:現在、この滝は水量が減り、場内も荒廃しているらしい。強引な物売りもいるため、見学はしばらく避けた方が良いと思われる)
マムーに向かって再び車は走る。
遠くに背の高いヤシの林が見えた。
小さな町のガソリンスタンドで給油をした。
近くのコンビニに行き、ミネラルウォーター6本を買って、車に戻って来ると、マムーの村人だという人達が、車に乗せてくれと頼んできた。
彼等を乗せて出発。
車は時速100kmの猛スピードで突っ走っていたが、突然止まって動かなくなってしまった。
運転手が応急処置をしている間、道端で売っているマンゴを買って、みんなで食べた。
誰かがヤシ酒を買ってきて宴会が始まった。
応急処置が終わると、全員で車を押し、エンジンがかかるや否や車に飛び乗り、そのまま一気にマムーに向かった。
途中、強風を伴う激しい雨に降られたが、ほどなく止んだ。
夕方、マムーのゲスト・ハウスに到着。
応急処置をした車を修理工場に持って行く。そこに置いてあった自転車を借り、夕暮れのマムーの町をゆっくりと走った。セネガルの地方都市とほぼ同じ風景だった。
アフリカの大地ではすべてが繋がっているのだと、妙に納得してしまった。
ここは標高800mくらいで、多くのプル族が住んでいる。
ルワンダのキガリのように丘の上にある町だった。
夜、ゲスト・ハウスで、玉ねぎをトマト・ソースで煮込んだヤッサを食べ、早々と寝た。
しかし….
部屋には、マラリアを感染させるハマダラ蚊が数匹いた。刺されはしないかと心配で、夜中に何度も目が覚めた。
セネガル河の水源を求めて!まで楽しい✨旅を体験?させて戴きました
BSでも観ることのできない貴重な映像や思いがけない楽しい出会い優しい詩であり、心やすらぐ情景苛酷な旅なのに感動の時を有難うごさいました
コメントありがとうございました。
セネガ川の水源までの道のりで出会った自然の中に
読者が入り込んだような気持ちになるように
記事を構成してみました。
能登地方大地震のような自然災害があると、いつも思い出すのは
長老の言葉です:
「人間は自然の子どもだが、自然は人間の子どもではない」
これからもよろしくフォローお願いいたします。
先ほどかきましたが
今回のはメールアドレスが変わりましたので不時着かな?
すみませんでした。
我が家のインターネットが接続されていませんでした。
田舎にいるとこのようなことがしょっちゅう起こります。