セネガル川の水源を求めて

 湧き水は小川となり、

徐々に勢いよく流れ出す。

林の中を通り過ぎ、

川幅が次第に広くなる。

場所によっては激流となり、

  川の人生で最初の橋に出会う。

 川の流れはいったんスロー・ダウン。

石の上に座って、のんびりと川面を見ていたい。

流れはとどまることなく前に進む。

お菓子を売る村の女の子。

川のたたずまいは美しく、

周りの風景ともマッチしている。

やがて大河になる思いを秘めて。

川魚を獲っている村の婦人たち。

 婦人たちが獲ったティラピア

この橋はもはや芸術的!

女の子たちは洗濯をし、

男の子たちは水浴びをする。

なみなみと水をたたえたバフィング川

ゆったりとした流れに、大河としての風格を見せ始める。

フランスには、「小さな流れが大河をつくる」《Les petits ruisseaux font les grandes rivières》という諺がある。バフィング川には多くのマリゴが流れ込んでいる。マリゴとは、乾期は枯れているが、雨期になると水が流れる川。大雨の時には洪水を引き起こすこともある。

《バフィング川に流れ込むマリゴ》

(1)チャンゲル

(2)ニューギウェル

(3)ファトモーディ

(4)ウルキ

(5)チャーアンギ

(6)イリンギ

(7)チャンクン・マニャージェ

(8)ファドゥグー

(9)ディン・ケンフン

(10)ペテル・リンゲ

(11)チョッペジ

シディに御礼を言った後、河川森林監督局の責任者にも感謝の意を表そうとしたが、彼は外出していて留守だった。

8月16日

機内から下方を見ると、いたるところで焼き畑が行われ、白い煙が立ち上がっていた。いかにも熱帯雨林気候の風景だった。その傍で、バフィング川が、ヘアピン・カーブのようにくねくねと蛇行している。バフィング川は蛇行を続けながら北に進み、ギニアとマリの国境を越え、バフラベでバコイ川と合流する。ここから「セネガル川」の名前となって北西に流れ、サン・ルイで大西洋に注ぐことになる。

クロード・ジャンヌキャンはセネガル川の水源に到達できなかったが、筆者は、《樂をして》神聖な森の中にある神聖な泉に出会う事ができた。

しかしながら、村人達が大切にしている村の聖域に、土足で踏み込んで行ったのではないかという罪悪感が、筆者の心の隅で今も渦巻いている。

サラマヨ村の長老が別れ際に言った言葉が忘れられない。

「人間は自然の子供だが、

 自然は人間の子供ではない」

《参考文献・Webサイト》

・『世界探検全集 第五巻 アフリカ探検 上』萬里閣書房版

・『Voyage de Libye au royaume de Sénégal』 Claude Jannequin   Hachette

・『ハンノの航海史料に関する一考』楠田 直樹 

・『ニジェール探検行』マンゴ・パーク 森本哲郎・廣瀬裕子 訳  (河出書房新社)

・『庭仕事の愉しみ』ヘルマン・ヘッセ  V・ミヒュルス編  岡田朝雄 訳 (草思社)

・『ギニアの精霊の森に暮らすチンパンジー』山越 言  (古今書院)

・『世界の食文化 11 アフリカ』小川 了 (農文協)

・『大地のおしえ』ウスマン・サンコン (講談社)

・『ギニアの旅行情報』道祖神

4件のコメント

セネガル河の水源を求めて!まで楽しい✨旅を体験?させて戴きました
BSでも観ることのできない貴重な映像や思いがけない楽しい出会い優しい詩であり、心やすらぐ情景苛酷な旅なのに感動の時を有難うごさいました

コメントありがとうございました。

セネガ川の水源までの道のりで出会った自然の中に
読者が入り込んだような気持ちになるように
記事を構成してみました。

能登地方大地震のような自然災害があると、いつも思い出すのは
長老の言葉です:

「人間は自然の子どもだが、自然は人間の子どもではない」

これからもよろしくフォローお願いいたします。

先ほどかきましたが

今回のはメールアドレスが変わりましたので不時着かな?

すみませんでした。
我が家のインターネットが接続されていませんでした。
田舎にいるとこのようなことがしょっちゅう起こります。

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