旅の手帖
セネガル川の水源を求めて
サラマヨ村に到着。
サラマヨ村。サラマヨはプル語で、サラ = 頭 マヨ= 川
「川の頭」という意味。まさに水源のこと。
シディは、畑仕事をしている人に声をかけて、水源の場所を知っている人を探した。
ここから森に入る。神聖な森への扉。
村の長老が水源までの道を案内してくれることになった。
長老からは、「水源は神聖な場所なので、水源の石には絶対に触らないよう」注意された。
長老はまるで自分の庭のように闊歩する。
突然、うす暗い森の中に入っていく。
長老は、すたすたと歩いて行き、思い出したように立ち止まって我々を待っていてくれる。
さらに険しい道に分け入っていく。
太いつたが道を塞ぐ。
道なき道を進む
長老はつたを切り払うことはしない。
見上げると、チンパンジーが枝から枝に飛び移っていた。(残念ながら写真は撮れなかった)
山崎 言氏によると、ギニアの「神聖な森」には、野生のチンパージ―の群れが生息していて、オランダや日本の生物学者が訪れ、行動や生態を研究しているとのこと。
チンパンジーは、しばしば村落や耕作地に出没し、キャッサバのイモ、トウモロコシ、オクラといった様々な農産物を盗だり、
村のあちこちに植えられているマンゴー、オレンジ、パパイヤなどの果樹もひんぱんに荒らしていくらしい。
キャンテンと呼ばれる木。この木に登った猿は銃で撃っても死なないと言われている。
「あれが水源だ」と長老が指さした。
この石の下から水が湧き出ている。長老が、「20年ほど前に、一大ミッションがやって来て、この水源を見学した」と、教えてくれた。
地面に小さな赤い実がなっていた。
とうとう水源に到達した。ここから水は地下に潜り、
森の外れで湧き出ている。
サラマヨ村の長老とはここで別れた。
別れ際に長老が左手で握手を求めてきた。イスラム教では、左手は不浄の手なので、左手の握手は嫌がる。長老はきっと、イスラム教徒というよりも、土俗信仰者なのかもしれない。シディの説明によると、「ギニアでは、左手で握手をすることは、長い別れの後も、生きて再び会える」と言う意味があるそうだ。
筆者は老人の左手を固く握り締めて別れた。
セネガル河の水源を求めて!まで楽しい✨旅を体験?させて戴きました
BSでも観ることのできない貴重な映像や思いがけない楽しい出会い優しい詩であり、心やすらぐ情景苛酷な旅なのに感動の時を有難うごさいました
コメントありがとうございました。
セネガ川の水源までの道のりで出会った自然の中に
読者が入り込んだような気持ちになるように
記事を構成してみました。
能登地方大地震のような自然災害があると、いつも思い出すのは
長老の言葉です:
「人間は自然の子どもだが、自然は人間の子どもではない」
これからもよろしくフォローお願いいたします。
先ほどかきましたが
今回のはメールアドレスが変わりましたので不時着かな?
すみませんでした。
我が家のインターネットが接続されていませんでした。
田舎にいるとこのようなことがしょっちゅう起こります。