ダンス

人は言葉を持つ以前に踊っていた⦆   

中世イスラーム世界においてもっとも偉大な学者で、世界で最初の社会科学者と評されるイブン・ハルドゥーン(1332~1406)は、「黒人は、非常に情緒的であり、メロディーを聞くとすぐに踊りたがる。」と述べています。

また、カダモスト(1432~1488)は『航海の記録』に、

「この国(セネガルの国)の女たちは大変に陽気で、何かというとすぐ踊り出したり、歌い出したりする。若い娘たちは特にそうである。」(第32章)と報告しています。

それからおよそ600年経った今、「ダンス」のDNAは、セネガル女性たちに脈々と受け継がれています。

特に田舎の女性たちは、ヒエを搗いたり, 水汲みをして足・腰が鍛えられているせいか、ダンスを踊る時の跳躍は高く、ダイナミックです。

3歳くらいの女の子が、音楽が流れるや否や、一丁前にシンコペーションの「拍抜き」リズムで踊りだしたりするのを見ると、この子たちは、誰に教えてもらうのでもなく、生まれながらにしてダンスをするための才能が備わっているのだと妙に納得してしまいます。

ダカールでこんな事がありました。

タクシーに乗る時、筆者は常にドライバーの横の助手席に座るのですが、ラジオからファロー・ジェンの曲が流れて来たので、それに合わせて上半身で踊っていたら、ドライバーが突然ハンドルから両手を離し、ニコニコしながら手拍子を打ち始めたのです。それを見て、「さすが、ダンスの国」と感心しながらも、体から血の気がスーッと抜けてゆくのを感じました。こわ~い!

【ダンス】

彼女と出会ったのは、ダカールで行われた野外ロックコンサートだった。

コンサート中、曲に合わせ、ステージでたった独りで踊っていた女性ダンサーがいた。

全身全霊、エンジン全開で、ただひたすら踊っていた。他の観客たちがロックの音楽に夢中になっていた時、筆者は彼女のダンスに対する情熱に感動していた。

コンサート終了後、筆者はすぐに彼女に会いに行き、「ダンスを教えて欲しい」と頼み込んだ。体中汗びっしょりで、まだ呼吸も荒かった彼女は、得体の知れないアジア人の来襲に、きょとんとしていたが、筆者の異常(?)な圧力と熱量に押されて、何とか承諾してくれた。

そしてその1週間後、彼女とのダンスのレッスンが始まった。

彼女の名前は、シモーンヌと言い、セネガルの南部カザマンスの出身だった。

フランスのローラン・プティのバレエ団で踊っていたそうだ。

(筆者はパリに滞在していた頃、ピンクフロイドとローラン・プティがコラボしたコンサートに行ったことがある。ローラン・プティの舞踏は、前衛的で強烈なインパクトがあった。朝吹登水子氏によると、ローラン・プティはジャン・ジュネの戯曲をバレエにしたが、ジャン・ジュネはその演出法が気に入らず、激怒したという)

彼女とのレッスンは、筆者のセネガル・プロジェクトの任期終了まで1年間続き、その間、セネガルの代表的なダンスが筆者に《伝授》された。(と思う)

ダンスの師匠シモーンヌ

2件のコメント

冒頭の絵がゴーギャンの色彩に似てて面白い。
ジェンベのリズムを聞いて、ダンスの雰囲気が伝わってきました。
残念ながら私は歳なので飛び上がる事はできません。

コメントありがとうございます。
ジェンベのリズムで自分が好きなように踊れば良いと思います。
踊ると、気分が爽快になります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください