《村の伝統相撲大会》
地方では、豊作・豊漁に感謝し、収穫後の農閑期 (11月、12月、1月頃)に村の広場で、相撲大会が開催される。多くの場合、《殴り技のない伝統相撲》が行われる。
力士は自分が住んでいる村や部族を代表して闘い、漁村から漁師、放牧地から羊飼いもやって来る。子供や女性や老人も気軽に観戦できる相撲大会である。
公式な試合の土俵の直径は9mであるが、村の相撲大会には、実質的に土俵はなく、相撲が行われる広場自体が土俵で、村人たちの観客の輪の内側が闘技場となる。
広場の広さは大体、次のような大きさである。
長さ:20~30m
幅:15~20m
従って、村の土俵の大きさは大体、直径:20~30mとなるが、土俵から出ても負けにはならない。
(静岡大学の小和田哲男名誉教授によると、「大の相撲好きだった織田信長は、相撲の取り組みを早くするために、力士の周りを人垣で囲ませて、そこからはみ出たら負けという、『人方屋(ひとかたや)』というルールを作った。これが土俵の起源となる。この中で信長が相撲を取らせたという記録が残っている」という。ただ、人垣も動くと広さも変わってくるので、ずるもでた。江戸時代になって、俵で土俵を設け、俵を出たら負け、というルールを明確にした)
試合時間は、5分-休憩-5分
優勝者は、賞品+10,000FCFAをもらえる。
賞品は、牛、馬、優勝旗、トロフィー、セメントなど。
昔の賞品は、優勝旗だけで、力士はただ名誉のためにだけ闘っていた。
村同士の戦いとなる統一チャンピオンでは、郡長から賞品として、馬、牛、羊数頭を受け取るが、力士にとって最大の栄誉は、郡長と同行して他の村を訪れた時、各々の村のチャンピオンから大歓迎を受けることである。また、その村の娘と結婚することも往々にしてあった。
筆者は、ファティックの近くのセレール族の村、ジュルプ(Diouroup)で行われた⦅伝統相撲⦆の大会に立ち会った。その雰囲気を皆さんと共有したい。Reportage。
アフリカでは、バオバブの木を神聖な木として崇め奉っている。村の守り神であり、御神木である。
その大きなバオバブの横の広場の闘技場で、力士達は闘いを行う。試合を良く見ようと、子供達は木に登り、木の枝にすわって場所を確保する。
村の青年や子供達が太鼓を叩いて盛り上げる。
女性歌手たちが登場。マイクを持って歌い始める。その中の一人は、赤ちゃんを抱いていて、時々、おっぱいを飲ませながら歌っていた。
セレール語で歌う女性たちの歌は、以下のような内容である。(筆者訳)
A bato xina kam diouwamé
In yone fa ô kor Rocky Issa Diakham
Sofi Sarr ô Kor Ami yé
大海原のかなたから船の音が聞こえる
さあ、私達は到着した
ロッキー・サールの兄さん
Issa Diakham Sofi Sarrと共に
(Issa Diakham Sofi Sarrは、漁業をするかたわら、偉大な力士だった。相撲の季節になると、彼は漁を中断し、陸地に戻り相撲に専念した。妹のロッキー・サル(Rocky Sarr)が、彼を鼓舞するためにこの歌を歌っている)
O limbé, ô limbo doufa yaye
andame ô limbé
O limbé la xatna no ngox ba yénido Ngohé
ああ、植物のつる、母が植えた植物のつる
私はそのつるを知っている
そのつるは怪力の主からやって来た
そのつるはンゴヘ村で死ぬためにやって来た
(女性歌手は、力士の肉体の強さ、しなやかさを植物のつるにたとえている。母親がつるを植える時、母親はつるがどこに伸びてゆくかを知っている。しかしどこで枯れるかは知らない、と歌う。「ンゴヘ村」は、収穫の後、すべてのチャンピオンが集まる相撲の村)
Modou yal gônelé djirolawé ngoloxang
Nadjikiro paxère to xona diaga ndatongué
Ngorké naga ndaapa Modou inoxa guénox
Nadjikiro parère to xona diaga ndatongué
モドゥは偉大なチャンピオン
ジロール村の人々はあなたを信頼している
あなたはチャンピオン、だけどそれを口に出さない
誰にも悪いことをしない
あなたは素晴らしい力士
(ジロール村は伝統的な村で、セネガルの初代大統領で詩人のレオポール・セダール・サンゴールの故郷である。彼の詩集の中でもジロール村のことを書いている。多くの相撲のチャンピオンがジロール村出身だが、モドゥもこの村の出身で、ここでは彼の功績を歌っている)
この女性たちの歌を聴いた時、試合中、力士が死んでしまうのではないかと思うくらい、悲しみにくれた、悲壮的な歌い方だった。
力士登場
闘技場に入る前にすわってお祈りをする。
闘技場の中央に行き、穴を掘り、そこに水を入れたり、まじないをかけた物品を入れ、その水を指につけてみんなでなめる。
力士たちは左右、自分の場所に分かれ、荷物を置く。そして、地面に★(星の形)を指で描き、ツノや鳥の羽をつきさす。
リング四隅の砂の上に星印を指で描き、すぐにそれを消す。
持って来た容器の中の液(サファラ)を体や顔につける。
力士達の顔はかなり緊張している。
力士は闘技場の四角を走り、コーナーでお祈りをする。
目の前でロープを広げ、東西南北の四方にお祈りし、ロープを地面にたたきつける。
従者とゆっくり走ってウォーミングアップをする。この時、手に棒を持ったり、鳥の羽をもったりする。写真を撮ろうとしてカメラを構えたら、こわい顔をしながらも、ポーズを取ってくれた。
力士達がすべて闘技場に入り、ウォーミングアップを行う。
村の応援団と村長が登場。場内を1周して来賓席につく。
来賓が行列となり、場内を1周する。
驚いた事に、伝説の《闘技場の王者》マンガⅡが来賓席にいた。
相撲界の歌姫、マエ・デップ・ンゴムも来賓席にいた。彼女は相撲の世界では有名な歌手らしい。
太鼓の演奏がヒートアップ
飛び込みで踊る人もいる。
場内では試合が始まる。大人も子供も、みんな真剣に力士たちの闘いに注目する。
自分の村の力士が勝つと、人垣の一角が飛び上がらんばかりの歓喜で沸き返る
闘技場内では、他の力士達も横で競技をしている。
力士がもんどり打って地面に倒れると、大歓声が沸く。
勝ってうれしそうな力士
途中、レフリーが闘技場中央に動物の骨が埋まっているのを見つけ、それを取り出して場外に捨ていた。
勝ち抜き戦で闘い、最後に決勝でチャンピオンを決める。
陽は次第に暮れてゆき….
戦いは夜の10時頃まで続く。発電機を回し、照明をつける。
翌朝、優勝者は、12.000FCFAと馬一頭を受け取った。
【感想】
ダカールの国立競技場で行われる《殴り技を伴う相撲》の試合は、ショー的要素が強く、力士との人間的な交流はない。村で行われる相撲大会の雰囲気は、戦後、日本国民が親戚や近所の人達と一緒になってテレビにかじりつき、相撲中継を観ながらひいきの力士を、ワイワイ・がやがやと応援していた頃の雰囲気に似ている。
制限時間までの間、親戚のおじさんが、「栃錦のおしりにはニキビがあるね」とか「朝潮の胸毛は迫力があるね」とか、そういう解説(?)をすると皆で大笑いをし、勝負が始まると、固唾をのんで力士家族を応援していた。相撲は近所同士の付き合いや、家族の絆を感じさせるそんな時間と場所だった。
セネガルの村で行われる《伝統相撲》は家族的な雰囲気の中で行われ、力士との距離感が近く、人情味にあふれている。収穫が終わったこともあり、人々の顔には安堵感と喜びが表れ、相撲の試合はまさに「幸福」と「平和」の祭典そのものである。
セネガル相撲の原点がそこにある。
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