セネガル映画 1/3

⦅センベーヌ・ウスマンの名言集⦆

・「私は労働者であり、次に黒人である。私の願いは階級闘争であり、私の連帯は人種ではない」

・「私は、映画を鏡と見なし、「過去、現在、そして未来」を題材とした映画を、人間へのメッセージとして撮影している」

・「映像そのものは、音楽による表現よりも大切である」

・「白人が開発したコダックは白人が美しく写るようにできている。その点、フジフィルムのほうが黒人の肌がきれいに写る。日本人は有色人種なのだから」

・「今回、国際交流基金のお招きによって、日本には3週間滞在できたことをとても嬉しく思っております。日本は私の想像以上にアメリカナイズされていました。しかし、日本がこれだけ技術的に進みながら、日本古来の文化を共存の形で守り育てている姿は、将来のアフリカを考えるときに大変参考になります。

日本映画の発見は、私たちに強烈なショックを与えました。なぜなら、今まで文化とは欧米白人だけのものと思いこまされていた私たち黒人が白人以外の人種、遠いアジアの黄色い皮膚の日本人が、大昔から高度の文化を持っていたということを知ったからです。私たちは植民地時代、フランスからかけられた呪文から解き放されなければならないのです」
(岩波ホール 映画『エミタイ』パンフレット「ウスマン・センベーヌ」より)

・「セネガルにはフランス映画がほとんどで、あとは香港の空手のものしかありません。もちろん日本映画はないし、日本文学を読む(フランス語訳で)人がたくさんいるとも思えません。以前、パリのカルチェ・ラタンの映画館で溝口健二監督の『雨月物語』を見ましたが、日本という国のことや日本人についてずいぶん教えてもらったような気がします。セネガルでも是非日本映画週間のようなものをつくってもらって、よい映画をみんなに見せてくれたら、どんなに良いかと思います。たとえば黒沢明の初期のものなんかも…」
(片岡幸彦氏とのインタビュー)

・「日本で『チェド』が上映されるまでにどの位の時間がかかったかを考えれば、映画は死なないということがおわかりいただけると思います」

・「アフリカの文学は当初、アフリカに向けられたものではなく、ヨーロッパ人に向けたものでした。1933年の『ネグリチュード』は、ヨーロッパに住む黒人たちが西洋文化に受け入れられることを望む、複雑な心理から生まれたものでした。要するに、自己防衛の文学だったのです。私は人々が言葉で遊ぶのを見ていたが、私にはむしろ政治的な主張に興味があった。一方、文化と民俗を混同する人もいた。しかし、私は特にこれらの作家が民衆の問題、特に、労働者階級の問題を無視していることを非難していた」(Carrie Daily Moore & Pierre Haffner)

・「ネグリチュード?知らない。私にとってそれは天使の性のようなものだ」

・「アフリカに多い非識字者のため、映画は『最高の夜間学校』である。文学作品と同様、映画を通じて、人びとに彼らの真の利益に気づかせることを目指している。映画は観客を楽しませるためのものでありますが、最終的には政治的な映画です。私は自分の映画を社会の鏡としてみたい」

・「私は、非常に重要な2つの映画から出発しました。『モダン・タイムス』と『自転車泥棒』です」

・「すべてのアイディアは映画化できるが、それを練り上げて、映画が最初から最後まで一貫性を持つようにすることが重要だ」

・「セネガルには多数のことばがありますから、映画で言葉に頼らない沈黙のシーン、人の表情などは、とてもたいせつな表現です。私の映画が様式を必要とするのは、人びとの心に届こうとするためです」(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「自分のエゴイズムからいえば、私はことばで表現する文学を好みます。みがかれたこtばで表現するということに関しては、強い思い入れがあります。

アフリカの文学は、口承文化ということが伝統的にあるわけです。映画は、いわばそういう伝統のうえに立ち、大衆がものを理解するときにきわめて近づきやすいことばと、イメージが組み合わさっています。イメージは、もちろん小説家もことばでそれをつくり出すのですが、その根底にあるのは、文化です。アフリカは、多様な言語と多様な文化が、モザイクのように入り混じって存在しています。そういうものを全部、もっとも深いところからすくい上げていくことがたいせつなのだと思います」

(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「映画は文化なのですから、映画の中で、さまざまに表現としての象徴があるとして、その象徴を支えている文化的な価値が分からなければ、その映画の内容がわからないことになります。他の国の映画を理解するためには、努力が必要なのです。映画を観るときにはかならず他の態度で、他の精神的態度で、その映画を観なくてはなりません。

芸術家は何もないところからものをつくらない。なにものかを基盤にしてものをつくるのです。その基盤が、自分の毎日、自分の国の国民の毎日の経験、毎日の生活、毎日の考え方の中にあるのです。芸術家は、ぜったい一人ぼっちではありません。国民も、ぜったい一人ぼっちではありません。国民がいなければ、何もつくれないのです。」
(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「私自身としては、小説を書くほうが映画を作るより好きです。自分の考えるところを、小説のほうが的確に表現できます」

・「私は、アフリカは母性的な場所だと考えています。アフリカ人は非常に母性的な存在です。彼らは母親を愛し、母親の名において誓いをたてます。父親を侮辱されても、男性は耐えることができます。しかし、母親の名誉が傷つけられた場合、男性は母親を守らなければ生きる価値がないと感じます。私たちの伝統では、男性には本質的な価値はありません。価値は母親から与えられるものです。この概念は、イスラム教以前からのものです。良い妻、良い母親、夫と家族を支える従順な母親。母親は私たちの社会を支えています。私は、アフリカの社会は依然として非常に母性的だと考えています。おそらく、これはイスラム教以前の母系社会から受け継がれたものかもしれません。ただし、私にとって、すべての男性は女性を愛しています。私たちは女性を愛しています。さらに、アフリカの人口の50%以上は女性です。8億人のうち、過半数が女性です。これは、私たちの発展のために活用すべき力です。農村部の女性ほど働く人はいません。『エミタイ』では、アフリカの女性たちが、フランス植民地軍による子供と米の徴発に反対し、先頭に立ちます」

・「黒人にとって母親は神聖な存在である。母親は、正直さと宗教を基盤とした高貴な理想な守護者である。彼女は義務と沈黙の象徴である。」

・「女性というものは、ほんとうの意味でけっして低い位置にあるものではありません。いわゆるユダヤ、キリスト教的な発想による女性観とは違った強い性格が、アフリカでは歴史的に大きな意味をもってきましたし、そのことはこれからも、私たちの未来を考えるうえで、不可欠な存在なのです。女性をきちんと組み入れて考えていかないかぎり、正常な未来の発展はありません」(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「事実女はたいへん勇気があるとわたしは思います。彼女たちはあるひとつのことを始めると、それを徹底的にやることができます。勇気ある男をみて進んでそれと行動をともにする女たちには、男以上に勇気がある場合があります。意志の堅固さ、堂々とした態度、優しさなどを、そういう時こそ女たちはよく発揮するのです。ですから、そういう女たちがしかるべき役割を担って、男以上に活躍するのは当然のことなのです。逆に、自分の欲望や防衛本能から、自分の弱さを女たちに伝染させてしまう男が意外に多いのです。そのうえで女は弱いといったり、考えたりしているのではないでしょうか。

これまでわたしはいろんな時に女たちと生活や行動を共にしてきましたが、その経験に照らしていえば女が弱いなどということは少しもありませんでした。むしろ男の方が弱かったと思います。」(『アフリカ 顔と心』片山幸彦)

・「フランスとセネガルの現在の関係を断ち切る必要がある。なぜなら、その関係には、永続的な友情と連帯に有害な要素があるからだ。私は、世界中のすべての民族、特にフランスとの友情を支持するが、私たちに何の義務もないフランスに、私たちの不幸の責任を転嫁してはならない」

・「セネガルが独立した日、私はフランス国籍を放棄した。長年、私の国の独立のために闘ってきた私は、フランス人であり続けるべきでなかった。私はセネガルのために働き、子供たちや孫たちに遺産を残さなければならなかった」

・「映画ファンには溝口、黒澤、小津などの名前がよく知られています。わたしはフランスでたくさんの日本映画を観ましたから、衣笠、小林、成瀬、五所、大島、山田、今村、市川などの作品を知っており、日本映画からは多くのことを学びました。植民地時代から、ヨーロッパの文化が世界の文化だと思い込まされていた者にとって、見知らぬ遠い東洋の国に、こんなすばらしい文化があったという発見は、わたしたち黒人に勇気を与えてくれます。特に時代劇がそういう意味で興味がありました。だから日本の訪問では、伝統芸能を広く鑑賞したいと思い、文楽、歌舞伎、能、狂言を観ることにしています」(高野悦子氏とのインタビュー)

・「私はすべての信者を尊重するが、個人的には宗教は民衆の麻薬だと考えている。私はマルクス主義であり、無神論者です。植民地時代、宗教は一部のケースで抑圧された人々の避難所となり、抵抗の炎を保つ役割を果たしたことは事実です。しかし私の映画では、フェティシズムはむしろ諦念の側にあります。米に執着する女性たちが、宗教に言及することなく、フランス人に対して勇敢に抵抗しているのです。『エミタイ』で私が言いたいのは、人々の運命を決めるのは、神々ではなく、男性と女性自身だということです」(『エミタイ』《脚本》)

・「私の故郷の地域では、芸術は装飾的な要素ではない。『人間』こそがアートの象徴です。人間そのものがアートです。その日常の行動や、コミュニティがどのように彼を認識し判断するかによって、良いアートか悪いアートか決まります。要するに、人間は人生の目的です」(『人間は文化である』)

・「映画が誕生して以来、アフリカ諸国は西洋の映画のイメージにさらされ、私たちの生活とは無縁のつまらない物語に浸っていた。私たちアフリカ人にとって、映画の問題は、病院や学校を建設し、国民に食料を供給することと同じくらい重要だ。私たちにとって重要なのは、自分たちの映画を持つこと、つまり、スクリーンという鏡を通して、自分自身を見直し、理解することだ。私たちアフリカの映画製作者は、詩人や小説家たちと同様に、アフリカの真実の顔を示したいと思っている」

・「私たちアフリカが今経験している崩壊の理由はいったい何なのでしょうか?この問いを、我々自身が問わなくてはならないと思います。過去を懐かしんで泣くのではなく、現在のアフリカでもこういった価値を回復させる事は出来ると思うのです。我々には、多くの歴史があります。それは大きな遺産だと思います。それらをもう一度掴み、自分たちはアフリカ独自の価値の回復をできると自分自身に言い聞かせなくてはなりません」
(映画『母たちの村』パンフレット 「センベーヌ・ウスマン監督インタビュー」岩波ホール)

・「映画はそれ自身で民衆を解放できないが、解放のたたかいを助けることができる」

・「我々は、植民地時代にはアフリカの歴史を一度も教えられることなく育ちました。ヨーロッパの歴史を一方的におしつけられたのです。そのため、我々は自分たちの歴史を知りませんでした」

・「権力というものは、一人の人間に集約され集中的に行使されると、かならず腐敗する。これは人民がある人間に権力を付託した真の意図、精神にも反することになる。ましてや宗教界で権力をもつイマムが、さらに地上の王権まで掌握するとなると、危険きわまりないことになる」

・「アフリカには歴史とか文化がないといわれていますが、まったく間違いです。私たちが現在なすべきことは、現在をより豊かなものにするためになすべきことは、断絶されたアフリカの歴史とか文化の根を探り出していくことです」

・「創造者が、自分と異なる文化や人間に接触して、インスピレーションを豊かにしていくということは、とてもよいことです。日本の浮世絵が、ヨーロッパの芸術家に影響を与えたのと同じように、黒人アフリカの芸術が、ピカソたちにも大きな影響を与えました。

我々の現実の中にあって、自分をどう回復していくか、しかも、他人を回復しながらどういうふうに、自分も回復していくか。他との接触によって新しいものをつくり出していくというのは、そういうことなのです。私も日本映画から多くのことを学びました。小説もそうです。私は川端康成の作品から啓示をうけました」
(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「どんな芸術でもその芸術は、自分の心に与えるメッセージがあるということです。アフリカだけが、世界に伝えるメッセージというものはありません。
私にとって重要なのは、映画や小説を通じて、自分の子どもや孫の世代に何かを語ることです。私はそのまま死んではいきません。自分のまいた種が次の世代によって芽を出してほしいのです。そうでなければ、村にたった一つしかない井戸にふたをして終わるようなものだからです。
アフリカの映画は、一種のエキゾティズムで見られがちですが、日本映画がそうでないようのと同じように、アフリカ映画が語るものも」エキゾティズムではありません。
私は私の民族のために映画をつくり、小説をかくのです」
(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「日本もたしかにさまざまな援助をしてくれます。ヨーロッパ諸国も同じかもしれませんが、われわれの尊厳や自尊心を押しつぶすような形での、一方的な援助は好ましい結果を生みません。物質的にも精神的にも、そういう態度はあまりとってもらいたくないです。他の国民が、現在アフリカが直面している問題を解決すべきだ、という考え方はやめていただきたい。アフリカの問題の解決は、アフリカ人にあります」
(『アフリカから日本へのメッセージ』ウスマン・センベーヌ 小栗康平 岩波ブックレットNo.142)

・「木に美しい花が咲けば、人は美しい花だといって花を賞でますが、花を咲かせるその木がどんな土地に植えられているかを知ろうとはしません。木に花が咲き、それが美しい花であれば人は満足します。それだけです。しかし、木を植えたり管理したりする人は、その木がどんな腐植土で育つのかを調べます」(『アフリカ 顔と心』片岡 幸彦)

・「アフリカは、まず奴隷制によってその活力の源である若く健康な人びとを3世紀にわたって奪われ、破滅に追い込まれました。この『暗黒の時代』」にアフリカにもたらしたものは、トウモロコシ、ピーナッツ、キャッサバ、カカオの単一作物栽培、部族間の闘争、そして強制移動を拒否した時につけられた傷跡と切り傷だけでした。アフリカは、ヨーロッパのブルジョアジーの利益のための資本蓄積に、血の代償を支払いました。そして、奴隷貿易に代わって、1885年から開始された植民地制度は、アフリカ大陸を分割し、反植民地主義の抵抗分子の拠点を壊滅し、一部の宗教的、伝統的指導者を忠実な同盟者に変え、公立学校や宗教学校で従順な責任者を育成しました。植民地体制はアフリカを後退させ、伝統的な社会組織に深刻な亀裂を引き起こしました」

・「私の仕事は重要だが、私は匿名で群衆の中に埋もれたい」

・「私は、映画として撮った作品を、テレビで写すのを好まない。映画とテレビの表現は明らかに違うためだ」

【参考文献・WEBサイト】

・『LE CINEMA AU SENEGAL DE 1900 A 1995』FILMS MOMAR sarl.

・『Le Cinéma africain, Des origines à 1973』Paulin Soumanou Vieyra, Présence Africaine

・『Ousmane Sembène : cinéaste』Paulin Soumanou Vieyra, Présence Africaine

・『Sembène Ousman (1923- 2007) une biographie』

・『Aline Sitoë Diatta』Wikipedia

・『Dictionnaire wolof-français』Editions KARTHALA

・『Pour une relecture de Xala de Sembène Ousman』Babatunde Ayeleru

・『Guelwaar』SEMBENE Ousmane  Présence Africaine

・『《La Noire de … 》, le grand film d’Ousmane Sembène à revoir』 Mondafrique

・『消えた郵便為替』センベーヌ・ウスマン 片岡幸彦訳 京都 青山社版

・『神の森の木々』センベーヌ・ウスマン  藤井一行訳  新日本出版社

・『セネガルの息子』センベーヌ・ウスマン  藤井一行訳  新日本出版社

・『ニーワン』センベーヌ・ウスマン 山本玲子・山本真弥子訳 サイマル出版会

・『アフリカから日本へのメッセージ ウスマン・センベーヌ (聞き手) 小栗康平』岩波ブックレット No.142

・『アフリカ 顔と心』片岡 幸彦 青山社

・『エミタイのウスマン・センベーヌ監督に聞く』高野悦子  キネマ旬報1984年4月下旬号884号  翻訳・岩波律子

・『エキプ・ド・シネマの三十年』高野悦子・編  講談社

・『シネマ人間紀行』高野悦子 毎日新聞社 

・パンフレット『チェド』岩波ホール

・パンフレット『エミタイ』岩波ホール

・パンフレット『母たちの村』岩波ホール

・『センベーヌ・ウスマン《La Noire de…》におけるサバルタン女性の声の再演』高橋昌暉 『Phantastopia』第5号、2026年3月発行 

・『仏語表現黒人アフリカ文学観管見(2) -センベーヌ・ウスマンの小説(承前)』恒川邦夫

・『アフリカ映画紀行』白石顕二 つげ書房新社

・『アフリカ映画の新しい波』 アフリカ映画祭 ’89  アフリカ映画祭’89事務局

・『両大戦とアフリカ人の「血税」』おやさと研究所教授 森洋明

・『イマージュ・エ・ソン』フィリップ・オディケ 第212号、1968年1月。

・『チヤロイの虐殺をめぐるセネガル・フランスの関係』現代アフリカ地域研究センター 

・『ウスマン・センベーヌ:革新的芸術家の人生』 サンバ・ガジゴ

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